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糸縄神社(横浜市南区六ツ川)

作成日 平成28年11月12日
よみ  いとなわじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年1月16日(土)
所在地  横浜市南区六ツ川 1-57 (北緯35度25分31.15秒 東経139度35分43.36秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 糸縄神社  当社HP(杉山神社のサイト)
祭神  大物主命 ( おおものぬしのみこと )
 稲倉魂命 ( いなくらたまのみこと )
 大山積命 ( おおやまつみのみこと )
由緒  由緒碑には次のやうにある。
糸縄神社は、横浜市南区六ツ川一丁目に鎮座し今から七百六十余年前の承久元年に、大物主命、稲倉魂命を祭神として建立された。武蔵風土記稿引越村の条には「除地一段一畝歩。小名宮ノ内ニアリ。村ノ鎮守なり。本社参尺五寸ニ弐尺五寸、西向。上屋参間ニ弐間。長壱尺五六寸ノ観音ノ石像ヲ置ク。例祭九月十三日」とある。明治六年村社に列せられ、同四十一年十一月十日村内無格社の山王社を合祀し明治四十二年五月社殿再建。昭和四十年八月二十九日新社殿完成。祭神は大物主命 大山積命 稲倉魂命。
後記
糸縄神社由緒に見る如く明治年間に建立された社殿は既に長年月を経て風雨に耐えず。依って 氏子総代発議により裏面記載の如く宮森秀雄を委員長として町内有志の協賛を得て広く氏子崇敬者より浄財を募り、鉄筋コンクリート造 神殿を造営○○昭和四十年八月奉祝大祭を執行。引続き玉垣、鳥居を建立。この度、狛犬壱対、燈籠壱対、天水壱基を建立して茲に糸縄神社改修建設の事業完成の喜びを見るに至る。仍って糸縄神社由緒の碑を建て、之 後記 てての芳志芳名を録す。子孫も亦之になら  永く日本精神文化の光輝を護持することを祈る
   昭和四十六年八月二十一日

新編武蔵国風土記稿の巻80[1]の引越村の条に「糸縄明神社 除地、一段一畝歩、小名宮ノ内にあり、村の鎮守なり、本社三尺五寸に二尺五寸西向、上屋三間に二間、本地観音の銅像ありしが、先年賊の為に奪はれし後、長一尺五六寸の観音の石像を置り、例祭九月十三日」とある。
雑記  京浜急行弘明寺駅から北北西へ0.2kmのところにある。
 お社は北向き。明治初期の地図には社の北に平地があり、100m程の所に川が北東へ流れ、1km程先で大岡川に合流してゐる。水田には好都合だったと思へる。今の地図を見ると川が無くなってゐるが、暗渠にでもしたのだらうか。
 訪れた時は、南側の弘明寺の丘の存在は判ったが、建物が多く北側の丘は気がつかなかった。嘗て水田があったなんて想像も出来ない。


脚注
  1.  大日本地誌体系 蘆田伊人 編 (雄山閣刊, 1935) 新編武蔵国風土記稿は1810年起稿、1830年完成。


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