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子神社(横浜市中区日ノ出町)

作成日 平成28年11月19日
よみ  ねのじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年2月7日(日)
所在地  横浜市中区日ノ出町2-132 (北緯35度26分36.24秒 東経139度37分30.53秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 子神社  Wikipedia:子神社
祭神  大国主大神 ( おおくにぬしのおおかみ )
由緒  社殿に、とても上手な墨書で三枚に分けて掲示されてゐた。多くの漢字に振仮名があり誰でも読める。(転記に当っては殆どを略した)
旧村社 子神社 (きゅうそんしゃ ねのじんじゃ)
由緒概要

創建は遠く推古天皇の時代(西暦600年頃)と伝えられる。
中世の頃より赤門の東福寺が別当(兼務)として管理して来た。神社の古事や伝記は、たびたびの火災や内戦のため焼失霧散してしまい、その間の事ははっきりしていない。
この地域に伝わっている事には、この神社は昔、里鎮守とか不入人宮(ひといれずのみや)と称していた。文禄三年の時、松平越前守が、神社の霊地保護の為、御本社の四隅に禁制札を掲げ、人の入場を禁じた。享保八年には神社境内地を、東西四十三間(約78m)南北九間(約十七m)と改められた。慶応元年(1865年)には、当時の大田村に原村、西中村、上太田地区に祀られていた諸々の神社を合せて祀ることとなった。明治六年(1873年)七月村社に列せられる。(神祇院)大正四年(1915年)九月境内を拡張し、諸般の設備を完成した。大正五年(1916年)十月十三日神饌幣帛料供進社となった。戦後は神社本庁に属す宗教法人となる。


大国主命を子神社の由来

神話『因幡の素兎(しろうさぎ)』で有名な島根県の出雲大社に祀られる大国主命は、元来日本の国の神様(国つ神)の頂点で、国王でもありました。高天原に居られた天孫系の神々に(天つ神)に国譲りをされ、杵築宮に退かれました。その徳を慕い、全国多くの地に神社が創られ、位も高く祀られています。
大国主命のお遣いが(眷属(けんぞく))鼠・子に当たるところから干支の十干・十二支の初めにあたる甲子(きのえね)の日に祭事を行っていた。(甲子大黒(きのえねだいこく))(甲子祭(こうしさい))六十日にその子(ね)の日が巡って来るところから、子の神様と俗に言われ、神社の名称も子神社となりました。同じ呼称の神社として、子之大神・子之権現などがあります。 大黒さまは元々仏教の戦闘神(せんとうしん)で、後に神道の大国主命と習合して七福神の一神とし祀られた。


子神社の神事

鎮座地  横浜市中無日ノ出町2-133番地
御祭神  大国主命(出雲大社と同神)
氏子地域 日の出町 初音町 黄金町 赤門町 英町 東ヶ丘町
年中行事 一月二日十時 歳旦祭 年の初めを祝う祭
     二月三日十八時節分祭 
     八月二十一日十時 例祭 神様の鎮座日
     その前夜の金曜日 夕宮祭
      〃   日曜日 後宮祭
     各町会みこし・山車の渡御・御神酒所祭(みきしょさい)
     十二月三十一日十九時 除夜祭
◎各月の一日または十五日 十時 月次祭(つきなみさい)執行
 (神社役員にご連絡の上ご参加下さい)
御神徳 ・商売繁盛の神 ・旅行の神 ・良縁結びの神 ・医薬の神 ・病気平癒の神
雑記  京浜急行日ノ出町駅から南南西へ0.3kmの所にある。今の社地は狭く、民家に囲まれてゐる。
 写真を撮影してゐたら、境内を通りかかった方が、前の通は桜が綺麗ですよ、と教へてくれた。調べてみると日ノ出町駅から黄金町駅の大岡川に沿って約500本の桜があるといふ。
 狛犬は昭和三年の奉納、鳥居は昭和四年建設し昭和三十三年復元されてゐる。



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