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諏訪神社(横浜市中区諏訪町)

作成日 平成29年1月14日
よみ  すわじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年5月29日(日)
所在地  横浜市中区諏訪町13 (北緯35度26分14.38秒 東経139度39分11.69秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 諏訪神社
祭神  
由緒  神奈川県神社庁 神社詳細 諏訪神社の「御由緒」より
文治3年(1187年)9月創建といわれている。明治6年境内地が外国人居留地に変更、幾度所在が移り変り、大正元年10月に現在地に至った。大正12年9月の関東大震災で社殿焼失したが、その後再建され、現在に続いている。
新編武蔵国風土記稿巻之七十七の北方村の条に「 諏訪社(年貢地、西方なり、東漸寺の持」と載ってゐる。
雑記  みなとみらい線元町中華街駅から南南東へ0.5kmのところにある。
 外人墓地、ブリキのおもちゃ博物館の前を過ぎ、右に細い道に入って行くと社殿の背面が見える。正面に回って、社地の狭さに驚いた。神社庁包括下であれば相応の社地があるものと思ってゐたから。社殿の床下には灯籠が横たわってゐる。「戦捷」の文字が見えるので明治以降のものと思ふ。
 いろんな経緯があるんだらうと思ふ。

 町名の諏訪町の由来は当社名といふ。明治22年に北方村と本牧本郷村が合併し本牧村となり(諏訪町は横浜市に編入)、明治34年、本牧村は横浜市に編入された。本牧村村域は中区となった。
 風土記稿に載る東漸寺は、大平町(当社から南西ないし西南西へ1.8km)の所にある真言宗の同名の寺が、それだらうか。位置は変ってゐるのだらうが。

 本日は、元町中華街駅を降りて徒歩13000歩と若干のバスを利用して九社を参拝し根岸駅から帰途についた。
 大東亜戦争時の被災は都市部に多いが、今回は進駐軍による接収といふ苦難が平成になってまで続いてゐたことには驚きだった。穴守稲荷神社が48時間以内の強制退去を命じられた事は平成23年に知った。(それまで聞いてゐても、気に留めてゐなかったのかもしれない。確たる記憶がない)。
 いま沖縄で起ってゐる事と、当地でのこととの違ひは、様々な原因があるにしても、いろいろあるものだ、と思はざるを得ない。


正面、南東向き

社地へはこちら側(社殿の背面側)から入る


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