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天満宮 (横浜市西区久保町)

参拝日 令和2年10月6日(火)
作成日 令和3年5月1日(土)
改訂日 令和6年3月7日(木)
 
よみ  てんまんぐう  
所在地  横浜市西区久保町34-12
  (35度27分1.00秒 139度36分26.12秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 天満宮
祭神  菅原道真 ( すがわらみちざね )
 蒼稲魂之命 ( うかのみたまのみこと )
由緒  神奈川県神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 嘉元元年(一三〇三)武蔵国橘樹郡神奈川宿清水山に創設せられ、御神像は座像運慶作と言われ、昔時の東海道に面し小社なれども有名なりと江戸名所図絵にもえがかれ、御神酒を献ずれば顔面朱色を帯ぶと伝えられる。昔は雷除の御守札が多く出たとも云われ、大正六年十一月二十五日現在地に移転、今日に至っている。
境内社 伏見稲荷神社 塩釜神社 笠間稲荷神社

 新編相模風土記稿には次の様に載ってゐる(2)
大日堂 
 稲荷社
 閻魔堂
 天神社
 秋葉不動合社

 長谷川 泰氏によれば、「大正6(1917)年、神奈川から移ってこの方、近くに花街もあったりしたせいか、久保町天満宮といえば磯子の岡村天神と並び称されるほどの賑わいをみせたものだ。」(3)といふ。
雑記  相鉄線西横浜駅から南南西へ0.4kmの所にある。

 旧社地は京急線神奈川駅の西の辺り(台町)なので、南西へ2.5kmもの距離の所へ遷ったことになる。こんなにも遠くへ来たのは何故だったのだらうか。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

写真2 社殿(正面)
写真2 拡大 (1280×960)

社殿(正面)

写真3 社殿(側面)
写真3 拡大 (1280×960)

社殿(側面)

写真4 御本殿
写真4 拡大 (1280×960)

御本殿

覆屋は質素なものだが、御本殿はしっかりした基礎の上に置かれてゐる。
室内左右の窓上方には、黒地に金色で氏子崇敬者と見られる屋号がびっしりと記されてゐる。遷座前のものか後のものか判らないが、かつては賑はってゐたと云ふのも納得だ。

写真5 境内社
写真5 拡大 (1800×960)

境内社

本社に向って右側にある。正面に二社、右側に一社がある。狛犬は木製だらうか。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.19
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之七十 神奈川宿 青木町 上台町の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  3. 令和3年4月27日閲覧 横浜市西区 ちょっと粋な天神様 久保町の天満宮 長谷川 泰 最終更新日 2019年1月21日

改訂記録
  • 令和06.03.07 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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