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浅間神社(神奈川県横浜市西区浅間町)

作成日 平成28年04月19日
よみ  せんげんじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成27年5月23日(土)
所在地  横浜市西区浅間町1-19-10 (北緯35度27分55.64秒 東経139度36分38.58秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 浅間神社  Wikpedia浅間神社(横浜市西区)
祭神  木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
 天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
 武甕槌命 ( たけみかずちのみこと )
由緒  境内にある案内板には次のやうにある。
浅間神社由緒沿革

祭神   木花咲耶姫命
相殿   天照皇大神・武甕槌命
境内末社 小嶽神社・稲荷社・招魂社
神殿   本殿二階建浅間造にして社殿丹塗総金具付にて元官幣大社浅間大社(静岡県富士宮市)と同様国宝建造物類似楼閣にて近隣に比類なき構造なり
御神徳  産業振興・家内安全・安全子育・学業成就


由緒沿革

元神奈川区浅間町に鎮座し浅間町一円の氏神なり、創祀は承暦四年(1080)といわれ、源頼朝こう文治元年平家討滅に依るべきを思い且つは戦勝 奉賽のため関東一円の社寺修築神馬神田の寄進に及べり、然る処武蔵国橘樹郡神奈川在芝生村に富士山の形状の山地あるを卜とし社殿の修築をなし 報賽の至誠を致せる由といふ。爾来九百余年神威嚇灼として遠近を光被し万民均しく渇仰崇敬せり


社殿・境内整備について

浅間神社は承暦四年の創祀より歴史ある古い社であります。明治の大火、関東大震災により焼失復興と度重なりしが昭和三年御大典記念として 御造営せる社殿は惜しくも昭和二十年五月の戦災のために烏有に帰しましたが社殿復興再建の議が起り昭和三十三年起工式 同三十四年に社殿落成亦昭和五十七年社殿前崖も急斜面崩壊危険区域に指定され講じ着手完成を見るに至り 昭和五十八年に社殿及び境内整備の奉賛会が結成され社殿塗装、御輿新築、御輿修理、社殿前玉垣裏参道玉垣工事をなし県下でも類を見ぬ社殿となりました。


浅間神社境内横穴古墳群

古墳(今から千七百年前頃から千年前頃まで、六、七百年の間ニつくられた古いおはか)には盛り土をした高塚と自然の丘に横に穴をうがった横穴とが有ります。
この横穴古墳は宮谷や軽井沢にわたって群生しているもので神社の境内だけでも十幾つがありましたので標記の名をつけました。 その内部は羨門(せんもん)、羨道(せんどう)中のへやを玄室といいますがこのたび神社境内の拡張、整地にあたり玄室から須恵器の瓶(へい)、平瓶(ひっか)、 などが出ました。
横穴やそこから出たそれらの物でこの社地は少なくとも千年あまり前、このあたりを開いた有力者が葬られた古いゆかりの地であることを知ることが出来ます。
昭和三十三年六月一日
         神奈川県文化財専門委員
                 石野暎

芝生村:しぼうむら、現在の浅間町
明治四十一年八月に浅間町字神明の山上の神明社(天照皇大神)、浅間町字鹿島の鹿島神社(武甕槌命)を合祀したといふ。
雑記  横浜駅の西1.0kmのところにある。
 一度目は、お祀りの準備を家族で作業中だったので、後日あらためて御朱印を頂きに再訪した。再訪時は地図を持たなかったら、浅間下の交差点までは行けたが、 その後、参道入口が判らず結構歩いた。三回目は大丈夫かな?


縣下名勝史跡四十五佳選當選記念碑(8位)


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