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二ツ橋神明社 (横浜市瀬谷区二ツ橋町)

参拝日 令和2年6月12日(金)
作成日 令和3年2月27日(土)
改訂日 令和6年3月10日(日)
 
よみ  ふたつばし しんめいしゃ  
所在地  横浜市瀬谷区二ツ橋町298
  (35度28分4.88秒 139度29分49.41秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 神明社
祭神  天照大神 ( あまてらすおおみかみ )
由緒   瀬谷区設置の掲示には次の様に記されてゐる。
二ツ橋神明社
 二ツ橋神明社は、昔、榊の古木を御祭神とし、村の鎮護を祈っていたと言い伝えられています。江戸時代の享保10年(1725年)、伊勢神宮より御神体を受け、榊は後代長く御神木として祭られているそうです。
 明治時代に入り、二ツ橋字広町にあった天王社を合祀して、現在に至っています。祭神は天照大神・素戔嗚尊です。
 平成10年3月 平成30年3月貼替
瀬谷区役所
 
 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 享保の頃は鎌倉鶴ケ岡八幡宮の榊の苗を植え拝していたものを、後石造の御神体を斎った祠をつくり、天照大神として祭祀を行って来たものである。
雑記  相模鉄道三ツ境駅から西へ 0.5kmの所にある。

 灯籠は二対ある。
 一つは、終戦よりも前の奉納と思はれる。「養蚕組合」「群馬縣多野郡小野村中栗須 教師 田口伯郎」「組合員 ○○○○(氏名)」「五ヶ年紀念」の文字が読取れる。群馬の方とどの様な縁があったのだらうか。養蚕の先進地か。
 もう一つは、[奉納 株式会社三松貿易 平成十五年十二月」と刻まれてゐる。

 手水鉢は、灯籠を過ぎた参道右手にあり、「奉納 神明社再建 奉賛者一同 平成二十年五月吉日」と刻まれてゐる。


 本日は、三ツ境駅付近から瀬谷柏尾道路(かつての大山道)を、南の方、戸塚区方へ向ひ、上矢部当りを歩いた。参拝社は6社。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

写真2 参道
写真2 拡大 (1280×960)

参道

鳥居脇にある掲示には次の様にある。(平成十六年四月一日建立)
社札所  
神社名  神明社
祭神名  天照大神 素戔嗚命
鎮座地  二ツ橋町字宮之町298番地
境内面積 959.66平方米
大祭日  八月末土曜日
祈年祭  二月
新嘗祭  十一月
七五三祭 十一月



写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

参道は狭く、樹木も見え、境内も樹木が豊かなのかと思ひきや、開けた明るい境内だった。

写真4 社殿側面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真5 拝殿内と御本殿
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿内と御本殿

写真6 社前から鳥居方を望む
写真6 拡大 (1280×960)

社前から鳥居方を望む


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.100-101

改訂記録
  • 令和06.03.10 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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