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第六社 (横浜市戸塚区上矢部町)

参拝日 令和2年6月10日(水)
作成日 令和3年2月20日(土)
改訂日 令和6年3月11日(月)
 
よみ  だいろくしゃ  
所在地  横浜市戸塚区上矢部町 1130
  (35度25分35.29秒 139度31分56.22秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 第六社
祭神  面足命 ( おもだるのみこと )
 惶根命 ( かしこねのみこと )
由緒   神奈川県神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 当社付近の地名を番匠谷というのは、北条分国の頃、玉縄の番匠石川五郎三郎の同族池田氏(鶴ケ岡八幡宮の修営に功あり)が居住していたのに依る。天正年間に玉縄城主北条左衛門大夫氏繁が、讃誉牛秀和尚の徳を慕って当村に大善寺を建て、守護神として第六天を祀ったが(次項坂本第六社の項参照)、番匠も深く第六天を信仰し、自分の住居地に祠を設けて勧請したのが当神社の始りである。
雑記  相鉄線いずみ野線緑園都市駅から南東へ1.7km、東海道線東戸塚駅から西へ2.2kmの所にある。

 鎮座地は事前に地図はもちろん、航空写真も見て調べてゐたが確定は出来ないでゐた。現地に来ても、鳥居は見えないし、社殿も見えない。当りを付けて畑の中を、歩いて良さそうな所を選んで杜の中に入って行ったら鳥居が見えて、ホットした。人様の土地に入って行って何も無く引返しては、単なる侵入者でしかなくなる。
 神奈川県神社誌には、「氏子 30戸、崇敬者80人」とされてゐる。どこから入って行けば良いのか案内が無くても、みんな判ってゐるから差支えないのだらう。
 当社付近の地名を番匠(ばんじ)谷戸というらしい。拝殿内の感謝状には「番匠谷鎮座」と書かれてゐた。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

写真2 拝殿
写真2 拡大 (1280×960)

拝殿

後方に本殿がある。

写真3 本殿
写真3 拡大 (1280×960)

本殿

本殿の中には、棟札三枚が見えた。

写真4 庚申塔・地神塔
写真4 拡大 (1280×960)

庚申塔・地神塔

・庚申塔には「天保十一庚子年五月□日」のほか、「講中」と氏名が刻まれてゐる

・地神塔は四角柱で、おもて面に五神が刻まれてゐる。中央に天照皇大神、向って右側から殖安媛命・倉稲魂命・中央・大已貴命・少彦名命。側面に「天保十一庚子年五月五日」「講中」五名の氏名が刻まれてゐる。庚申塔の氏名と同じとみえる。
 四角形は初めて見た。

写真5 庚申塔
写真5 拡大 (1280×960)

庚申塔

いつからここに移されたのだらう。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.89

改訂記録
  • 令和06.03.11 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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