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日月社 (横浜市戸塚区上矢部町)

参拝日 令和2年6月10日(水)
作成日 令和3年2月20日(土)
改訂日 令和6年3月11日(月)
 
よみ  じつげつしゃ  
所在地  横浜市戸塚区上矢部町1525
  (35度25分23.71秒 139度31分47.12秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 日月社
祭神  大日孁貴命 ( おおひるめむちのみこと )
 月夜見命 ( つくよみのみこと )
由緒  神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 寛元年間の創建である。往古当地の住民が、夜昼の別なき神明の加護に深く感謝し、朝日、夕日の直照らす好地に神祠を建て、日待、月待の祭事を続けて来た。その場所を「日夜の社」といったが、やがて「日の森」と呼ぶようになり、現在も「日の森谷」の小字名を遺している。

 新編相模国風土記稿には、社名のみ載ってゐる(2)。 ( )内は割注部分。
日月社
中略
嫗児社(宇婆古也之呂)
雑記  東海道本線東戸塚駅から西南西へ2.5km、同線戸塚駅から北へ2.5km、相模鉄道いずみ野線緑園都市駅から南南東へ1.9km、同線弥生台駅から2.2kmの所にある。阿久和川に沿ふ瀬谷柏尾道路にはバスが通ってゐて、私も利用した。


【姥子社】写真4・5参照
 日月社の社殿に向って右奥には、姥子社がある。姥子社の前には「姥子社由来のこと」が掲示されてゐる。
姥子社由来のこと
 この社は、姥子社(うばこしや)と申します。鎌倉時代に創建されたと伝えられています。
元の社殿は、ここから百四十メートルはなれた、上矢部町字姥子前1463番地にありましたが、東京丸の内、勧業不動産株式会社が市街地開発を行うために、現在の地に移転しました。
 昭和五十三年四月吉日 氏子一同
 昭和50年頃までの国土地理院の地図を見ると、現在の上矢部小学校北側の上矢部第五公園辺りに神社記号があったので、姥子社の旧地と思はれる。距離・番地とも合致する。その地図には、日月社の位置にも神社記号があるが、なぜか、今は無くなってゐる。
 また、webサイト「事事関心!」(3)によると、次の様。
三浦大介の侍女で矢部庄司為行の姥が為行亡き後尼になり為行の墓の側に庵を建て菩提を弔いました。尼亡き後、庵の跡に姥子社を建ててその霊を祭ったといわれています。
 市街地開発に伴い140m程離れた上矢部町字姥子前1463から現在地に移されました。この社は風邪の神と云われ信仰が厚く昔は他郷からの参拝も多かったとのことです。開発工事に伴い、旧道傍にあった二基の石仏(社の左手に置かれた道祖神塔と庚申塔)もここに移されたとのことです。

 新編相模風土記稿の表記をみると、うばこやしろ(宇婆古也之呂)、とある。一般に、「やしろ」と読まないから読み方を記したのか、「うばこ」が読みにくかったからなのか、どちらなのだらう。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社殿正面
写真1 拡大 (1280×960)

社殿正面

鳥居前までは、道路から十数段の階段を登る。

写真右奥の一段低いところに姥子社社殿が写ってゐる。

写真2 社殿側面
写真2 拡大 (1280×960)

社殿側面

姥子社の方から撮影
写ってゐる石造物の内、一つは庚申塔(ほぼ葉の陰になってゐる)で「庚申塔」「上矢部 番場谷講中」と彫られてゐる。他側面は確認出来ず。
道祖神も「上矢部 番場谷講中」とある。

写真3 社殿側面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真4 姥子社
写真4 拡大 (1280×960)

姥子社

写真5 姥子社 斜め側面
写真5 拡大 (1280×960)

姥子社 斜め側面


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.80
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之百一 上矢部村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  3. 令和3年2月13日閲覧 事事関心! 日月社/姥子社

改訂記録
  • 令和06.03.11 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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