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丹後山神明社 (横浜市戸塚区上矢部町)

参拝日 令和2年6月12日(金)
作成日 令和3年2月27日(土)
改訂日 令和6年3月10日(日)
 
よみ  たんごやま しんめいしゃ  
所在地  横浜市戸塚区上矢部町1919
  (35度25分14.75秒 139度31分59.28秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 神明社
祭神  天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
由緒  社頭の掲示札には次の様に墨書されてゐる。
丹後山 神明社
御祭神 天照大御神
当社は古来大神宮祠また伊勢宮と称され御祭神が
伊勢神宮の御分霊であったためで「お伊勢さま」と親しまれてきた 御創建の年代は不詳であるが源頼朝公の愛人丹後局が当社の境内で出産されたとの伝承があり八百年前には□にご鎮座になっていたものと思われる
例大祭日 十一月二十三日 [新嘗祭 勤労感謝の日]
 平成十四年九月吉日 宮司識

 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創立年代など不詳であるが、当社付近の地名を「宮ヶ谷」と呼び、慶安検地にもその地名が記されているので古社であったことが知られる。明治初年村社に列しているが、戦後は社殿など衰微亡失にまかせ、再建を望まれている。
 例祭日は、毎年11月23日(固定)(2)。平成元年に再建されたといふ。
雑記  東海道本線戸塚駅から北へ2.2kmのところにある。

 新編武蔵風土記稿第百一巻の上矢部村の条には「神明宮二」とあるが、それ以上の記載は無い。なお、「林 字丹後山ニアリ」と地名は出てゐる。

 当社から東南東へ150m程の山(丘)を越えた麓の道ばたに「丹後局供養塔」がある。この文を書く際に、みうけん さんのブログで知った。碑文も読めるやうに拡大写真を用意してくれてゐる。碑文は次の様。(正字体は現在汎用の字体に置換えた。仮名遣は、碑文のママとした)
丹後局供養塔
源頼朝ノ愛妾丹後局ノ事績ヨリ起リシモノナリ 丹後局ハ頼朝ノ寵愛厚ク妊娠ノ身ト成リ夫人政子ノ嫉妬ヲ碎ケテ当地ニ至リ伊勢宮ノ瑞籠ニ隠レテ憩フ処ニシテ男子出生ス丹後局安産の古蹟ヨリ丹後山ト称セリ 又丹後局ノ墓ト言伝エタルル塚有リテ局終焉ノ地ト思ハルル処ナリ爾来幾星霜ヲ経テ当地ハ急激ナ発展ヲ来シ団地造成開発サルルニ当リ塚ヲ改葬シ永ク古蹟ヲ遺スト共ニ局ノ霊ヲ慰ムル為共有者一同供養塔ヲ建立スル者也
 丹後局の伝承は各地にあるといふ。厚木市の小町神社にも伝承がある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

写真2 階段上部
写真2 拡大 (1280×960)

階段上部

写真3 覆殿
写真3 拡大 (1280×960)

覆殿

写真4 覆殿内
写真4 拡大 (1280×960)

覆殿内

写真5 社前から社頭を望む
写真5 拡大 (1280×960)

社前から社頭を望む

細い道路を隔てた向かうには5階建ての所謂マンションが建ってゐる。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.81
  2. 令和3年2月17日閲覧 松尾神社ツイッター 2020-11-25付
  3. 「みうけんのヨコハマ原付紀行」の愛憎に翻弄され悲劇の出産をした絶世の美女 丹後局(横浜市戸塚区)

改訂記録
  • 令和06.03.10 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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