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秋葉神社 (横浜市戸塚区戸塚町)

参拝日 令和3年6月13日(日)
作成日 令和4年4月16日(土)
追記日 令和6年2月16日(金)
よみ  あきばじんじゃ
概要  当社(秋葉神社)は横浜市戸塚区戸塚町に鎮座する。戸塚町にはかつて六宿があり、現在地は、その中の南端に近い。創建年代不詳。 (神社庁包括外社)  
所在地  横浜市戸塚区戸塚町458-1
  (35度23分31.92秒 139度31分43.71秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  ─
祭神  未確認
由緒  単立

 新編相模国風土記稿には次の様にある(1)
秋葉社 柴田大内藏持
   柴田大内藏:八幡宮(現 富塚八幡宮)の項に「神職柴田大内藏 京都吉田家ノ配下ナリ」と記されてゐる。
雑記  最寄駅は東海道線戸塚駅で、当社から北北東(26°)へ1.0kmの所にある。

 手水鉢に「戸塚田宿」とあるので何所のことか調べようとした。なんとなくしか判らなかった。
 「戸塚宿 戸塚」について記したweb頁(2)には、
 「戸塚宿は、矢部町、吉田町、戸塚町(戸塚町はさらに六宿(大踏切側から、上宿、中宿、台宿、天王宿、田宿、八幡宿)に分かれていました)の三町からなっており、なかで大きな旅籠(はたご)屋や本陣(ほんじん:旗本や大名が利用する宿舎)が集中していた所は戸塚町の中宿から台宿(現在の バスセンターから海蔵院にかけてのあたり)のあたりです。本陣は2軒で中宿に内田本陣が、台宿に澤邉本陣があり・・・」
 とあり戸塚宿の内の一部の地名と判った。新編相模国風土記稿にも小名に「上宿 中宿 天王町 八幡宿 田宿 西ノ久保」(1)が挙げられてゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社号標には「秋葉神社 諏訪社」と併記されてゐる

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 階段を登った所、鳥居の先には諏訪社がある。
 秋葉神社は写真中央やや右の建物

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 秋葉神社社殿 正面
 灯籠は、嘉永四年建之

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 秋葉神社社殿 側面

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 秋葉神社 覆屋内
 掲示の額はいくつもあるが、その内の一つは、町内会宛の火災発生件数減に係る感謝状だった。
 御本殿の脇に扁額が置かれてゐるが、web上の10年程前の写真を見ると向拝に掲げられてゐた。

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 諏訪社
 覆屋内には諏訪大社の神符がおかれてゐた。また床上には「諏訪社」と書かれた扁額があった。
 この扁額もweb上の10年程前の写真を見ると向拝に掲げられてゐた。

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 社殿の背後から撮影
 中央の大きな方が秋葉神社、小さい方は諏訪社。その右側(写真右側)は「富塚五丁目町内会 防災用具物置」


出典・脚注
  1. 『『新編相模国風土記稿』 巻之九十九 戸塚宿の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  2. 令和4年4月11日閲覧 戸塚宿 戸塚

改訂記録
  • 令和06.02.16 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。概要欄作成と記入。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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