よみ
みしまじんじゃ
| 概要
| 当社(三嶋神社)は、鎌倉時代初期の文治年間に景正の神霊をまつり相殿に伊豆三嶋神社を勧請して御霊社と称した。のち、三嶋神社と改めた。現社殿は昭和49年に修理改築された。
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所在地
| 横浜市戸塚区深谷町1026
(35度23分6.27秒 139度30分13.23秒)
地図:地理院地図(ズームレベル15)
マピオン(ズームレベル15)
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地図
| 参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
・東西59km 南北55km
・+印:当社位置
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・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
・○印:本殿の位置
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HP等
| 神奈川県神社庁 神社情報 三島神社
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祭神
| 大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
鎌倉権五郎景政 ( かまくらごんごろうかげまさ )
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由緒
向拝に掲げられてゐる札には、墨書で次の様に記されてゐる。
三嶋神社
祭神 大山祇命 鎌倉権五郎景正
所在地 戸塚区深谷町一〇二六番地
宮司 中川 港
由緒
今より約七百七十年前の文治年間に梶原平三景時が創建したものである 景時はその祖 鎌倉権五郎景正が崇敬していた専念寺を再建するに当り傍らの丘陵を開拓して社殿を建て景正の神霊をまつり相殿に伊豆三嶋神社を勧請して御霊社と称した 後に至り社名を三嶋神社と改め現在に至った 社殿については寛延二年十二月八日(今より三百余年前徳川時代)の棟札があり現在の社殿は大正三年三月三十日新築され昭和四十九年十月修理改築されたものである
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『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)。
由緒沿革 文治年間梶原景時の創建である。景時の祖・景政の神霊をまつり、相殿に伊豆三島明神を勧請して御霊社と称し、子孫繁栄、武運長久を祈った。村人も共にこれを鎮守として尊崇し、後に社号を三島神社と改めたものである。寛延二年(一七四九)十二月八日改築の棟札を存する。現社殿は大正三年三月の改築にかかる。
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『新編相模国風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)。
御霊社 村ノ鎮守トス。神体甲冑ノ像ナリ。三島明神ヲ相殿トス。例祭九月廿日。村持下同シ。
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| 雑記
| 最寄駅は、西方は小田急江ノ島線の六会日大前駅で西(266度)へ3.0km、東方は東海道線戸塚駅で北東(57度)へ3.2km、北方は横浜市営地下鉄場立駅で北(354度)へ3.3km、南は南南東(146度)へ4.3kmの所にある。
バスの便では、大船駅・立場駅・大船駅へ多くの本数がある。
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