ホーム神奈川県横浜市 > 戸塚区

三嶋神社 (横浜市戸塚区深谷町)

参拝日 令和4年4月8日(金)
作成日 令和5年2月12日(日)
追記日 令和6年2月5日(月)
よみ  みしまじんじゃ
概要  当社(三嶋神社)は、鎌倉時代初期の文治年間に景正の神霊をまつり相殿に伊豆三嶋神社を勧請して御霊社と称した。のち、三嶋神社と改めた。現社殿は昭和49年に修理改築された。  
所在地  横浜市戸塚区深谷町1026
  (35度23分6.27秒 139度30分13.23秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 三島神社
祭神  大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
 鎌倉権五郎景政 ( かまくらごんごろうかげまさ )
由緒  向拝に掲げられてゐる札には、墨書で次の様に記されてゐる。
  三嶋神社
祭神  大山祇命 鎌倉権五郎景正
所在地 戸塚区深谷町一〇二六番地
宮司  中川 港
由緒
今より約七百七十年前の文治年間に梶原平三景時が創建したものである 景時はその祖 鎌倉権五郎景正が崇敬していた専念寺を再建するに当り傍らの丘陵を開拓して社殿を建て景正の神霊をまつり相殿に伊豆三嶋神社を勧請して御霊社と称した 後に至り社名を三嶋神社と改め現在に至った 社殿については寛延二年十二月八日(今より三百余年前徳川時代)の棟札があり現在の社殿は大正三年三月三十日新築され昭和四十九年十月修理改築されたものである

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 文治年間梶原景時の創建である。景時の祖・景政の神霊をまつり、相殿に伊豆三島明神を勧請して御霊社と称し、子孫繁栄、武運長久を祈った。村人も共にこれを鎮守として尊崇し、後に社号を三島神社と改めたものである。寛延二年(一七四九)十二月八日改築の棟札を存する。現社殿は大正三年三月の改築にかかる。

 『新編相模国風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)
御霊社 村ノ鎮守トス。神体甲冑ノ像ナリ。三島明神ヲ相殿トス。例祭九月廿日。村持下同シ。
雑記  最寄駅は、西方は小田急江ノ島線の六会日大前駅で西(266度)へ3.0km、東方は東海道線戸塚駅で北東(57度)へ3.2km、北方は横浜市営地下鉄場立駅で北(354度)へ3.3km、南は南南東(146度)へ4.3kmの所にある。
 バスの便では、大船駅・立場駅・大船駅へ多くの本数がある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 石標には「三嶋神社入口」とある

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 境内
 鳥居は深谷氏子中による奉納
 灯籠は、大正八年鈴木佐吉氏による奉納

写真3 写真3 拡大 (1280×960)


写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 斜め前からみた社殿

 露出時間は1/2秒、暗かった
写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 拝殿内
 露出時間は1/2秒、暗かった

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 境内社
 本社に向って右側にある
 写真の左側から秋葉神社、地神塔(文久元酉十一月吉日の年記あり)年、第六天神社

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.88
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之百三 深谷村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.05 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。

文頭へ移動

inserted by FC2 system