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五霊神社(横浜市戸塚区汲沢)

参拝日 令和4年4月8日(金)
作成日 令和5年2月21日(火)
追記日 令和6年2月5日(月)
よみ  ごりょうじんじゃ
概要  当社(御霊神社)は横浜市戸塚区汲沢に鎮座する。元亀二年(1571)村岡郷宮前村(現藤沢市宮前)御霊社を勧請して創建、後、鎌倉権五郎景正公を合祀して祭神が五柱となり、五霊神社と称した。  
所在地  横浜市戸塚区汲沢1273
  (35度23分36.51秒 139度30分58.92秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
   マピオン(ズームレベル16)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 五霊神社
 ウィキペディア 汲沢内の名所旧跡 五霊神社
祭神  村岡五郎平良文 (むらおかたろうたいらよしふみ)
 村岡公致 (むらおかきみとも)
 村岡致成 (むらおかともなり)
 鎌倉景成 (かまくらかげなり)
 鎌倉権五郎景政 (かまくらごんごろうかげまさ)
由緒  境内にある石碑には次の様に刻まれてゐる。
五霊神社由緒沿革
祭神五柱
村岡五郎平良文公(桓武天皇曾孫高望王第五子で村岡郷の初代城主となる)
村岡公致(義致)公 村岡致成公
鎌倉景成公    鎌倉権五郎景正公

正親町天皇元亀二年(1571年)九月十九日創建
當時此の地は村岡郷に属しており森織部義秀が村岡郷宮前村(現藤沢市宮前)御霊社を勧請し守神とした後に鎌倉権五郎景正公を合祀して祭神が五柱となるにつき社名を五霊と改めたと云う。村岡五郎良文公は皇族より始めて平姓を賜った高望王の子で全國にも平姓の祖とも云うべき方を祭神として奉齋する神社は珍しい。
慶長二年(1597年)社殿を再興して五霊大権現と称した。其の後社殿の改築二回更に大正十二年関東大震災に倒壊して翌年復興し数度の修復を行ったが近年雨漏りを憂いて森今吉氏が多額の浄財を奉納されこれを基に氏子一同これに賛同奉納し流れ造りの社殿を改め権現造の様式にて御造営を成し昭和五十七年十一月六日に竣工した。
茲にこれを記念して建設委員会一同由緒碑を建設する。
  御神徳 家運隆昌 厄除 安産 学業成就 交通安全
  大祭日 例年十月一日(現在は直近の日曜日)
宮司 本多正義記

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 元亀二年(一五七一)九月十九日創建。当時この地は村岡郷に属しており、森級部義秀が村岡郷宮前村の御霊社を勧請した。後に鎌倉権五郎景政を合祀して、祭神が五柱となったので、社名を「五霊」と改めたという。慶長二年社殿を再興して五霊大権現と称したが、再興に当って氏子一戸につき松苗十二本ずつを集めて境内に植林した。その内の一本は昭和二十八年まで現存し、目通り一丈余に達し、当時の面影を偲ばせていたが遂に枯損した。その後社殿の改築二回、更に関東大震災後直ちに復興し、大正十三年十二月十五日竣功して現在に至る。

 『新編相模国風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)
御霊社 村ノ鎮守トス。例祭九月廿六日。宝壽院持。下同シ。
雑記   最寄駅は横浜地下鉄踊場駅で、当社から北(8度)へ1.4kmの所にある。他に、東海道線戸塚駅が当社から東北東(61度)へ1.8kmにある。バスの便は横浜市営地下鉄立場駅と東海道線・横浜市営地下鉄戸塚駅を結んでゐる。

 「汲沢」の読みは、「gumisawa(ぐみさわ)」と入力しても漢字に変換されなく不思議に感じてゐたが、調べて「ざ」と濁るとわかった。この地名は、かつて、ラジオの交通情報で良く耳にしてゐたのだが、濁っては聞えてゐなかった。新編相模国風土記稿では「具美佐波牟良」と読みを表現してゐて、なにか腑に落ちない。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 石段踊場の鳥居
 狛犬は「日露戦役」「凱旋記念」「明治四十年三月日立之」と複数人の氏名が刻まれてゐる。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 鳥居と灯籠
 灯籠は、「大正五年十月一日」「○軍工兵 森勝壽 ○○砲○ 石井三時」と刻まれてゐる
 この踊場の向って右方には写真9の山ノ神社がある

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 石段を登り切ったところ
 左側は手水舎

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 斜め前から見た社殿

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 本殿

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 境内社 山ノ神社
 >鳥居には「平成二年六月吉日」と年記がある

写真10 写真10 拡大 (1280×960)
     部分拡大 (2500×1000)
 碑誌があり、次の様に記されてゐる(横書)
道祖神 (塞の神)
平成十八年十二月吉日
汲沢町1154-3番地
汲沢町254  番地より
此の地に移転す。
谷戸講中一同
中村講中一同
御所水講中一同
道祖神に向って左手に遙拝所碑(表に「雨降山 富士山 畝火山 遙拝所」、碑背に「日露戦役凱旋○○○ 明治四十年三月日建設之」とある。草書体の何文字かが読めなかった)、右手に「豊受姫大神」(碑背に「明治二十七年四月建之 富士見村 汲澤」)碑がある。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.90
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之百三 汲沢村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.05 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。

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