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第六天神社 (横浜市戸塚区市戸塚町)

参拝日 令和4年4月8日(金)
作成日 令和5年2月26日(月)
追記日 令和6年2月4日(日)
よみ  ─
概要  当社(第六天神社)は横浜市戸塚区戸塚町に鎮座する。神社庁包括下には無い。  
所在地  横浜市戸塚区市戸塚町3042
  (35度23分34.37秒 139度31分31.99秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  ─
祭神  面足命 (おもだるのみこと)
 惶根命 (あやかしこねのみこと)
由緒  境内に由緒の掲示はなかった。

 『旧東海道戸塚宿の歴史を歩く散策マップ』(1)には、写真と共に次の様に紹介されてゐる。 
古事記・日本書紀で第六番目に出現したとされる面足命・惶根命が祭神です。境内には産魂祠天保10(1839)年と道路に面した藤行翁之碑安政元(1854)年があります。
雑記  最寄駅は東海道線戸塚駅(横浜市営地下鉄戸塚駅隣接)で、当社から東北東(37度)へ1.2kmのところにある。

 当社の前の道路は国道1号線(旧東海道)、後ろに見える柵は国道1号のバイパスで昭和30年に開通した戸塚道路。

 Googleストリートビューには2010年(平成22年)1月の画像があるが、この時、当社は工事中だった。社殿はブルーシートで覆はれ、重機が入ってゐる。石製鳥居があるものの灯籠や顕彰碑、石祠は見当らない。石段は3段で、現在は5段なのでかさ上げがあったのだらうか。社殿に向って右側の道路は幅が狭く車が行違へるか判らないくらい。もっとも、この道路、平成13年修正の国土地理院25000分の1地図には記載が無い。センターラインのある道路になったのは2018年(令和元年)とみられる。当社は、この道路工事の関係で今の形になったのだらう。
 工事前の境内は大きな木があり、いかにも神社といふ雰囲気だったやうだ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×720)
 灯籠は、竿部分に「昭和六十二年十二月吉日 氏子中」、台石には何人もの氏名が刻まれてゐる。
 写真左側の碑は冨士講先達の藤行の顕彰碑(2)

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 鳥居は、銅板張りの模様。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 斜め前から見た社殿

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 石祠と手水鉢
 石祠は御魂代室(みたましろむろ)の背面に「天保十一年十一月吉日再建」とある。笠部分・台部分にくらべ石が新しいので或とき再建されたのだらう。台部分の正面に「産魂祠」と陽刻され、側面背面には幾人もの氏名が刻まれてゐる。

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 社殿前からの眺め


出典・脚注
  1. 旧東海道戸塚宿の歴史を歩く散策マップ』横浜市戸塚区役所 平成21年5月発行 令和3年3月一部改訂
  2. 第84話 山岳信仰碑1〜富士講碑〜 とつか歴史探訪 タウンニュース 戸塚区版 2023年1月12日号  

改訂記録
  • 令和06.02.04 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。概要欄作成と記入。

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