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大久保神社 (横浜市戸塚区汲沢)

参拝日 令和4年4月8日(金)
作成日 令和5年3月4日(土)
追記日 令和6年2月4日(日)
よみ  おおくぼ じんじゃ
概要  横浜市戸塚区汲沢に鎮座する。昭和二十六年創立、同四十三年宗教法人となった。天照皇大神と明治天皇を祀る。  
所在地  横浜市戸塚区汲沢 309-2
  北緯 35度23分12.33秒
  東経139度30分40.23秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 大久保神社
祭神  天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
 明治天皇(めいじてんのう)
由緒  境内に由緒等の掲示は無かった。

『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 伊勢皇大神を奉斎し、明治天皇の教育勅語を奉戴して、国家安泰と世界の平和を祈念するために、石井孝三郎翁がその所有地を開放して、昭和二十六年十月十五日創立した神社である。明治維新百年を記念して更に社地・社殿・付属建物が寄進せられ、昭和四十三年二月宗教法人となった 。
境内社 祖霊社(石井孝二郎翁命奉斎)
雑記   最寄駅は東海道線戸塚駅で北東(51度)へ2.6kmのところにある。また、横浜市営地下鉄踊場駅が北北東(17度)2.3kmにある。

 境内は植物が多く社殿や境内設置物の写真が取りにくかったが、植物が多いのは生命を感じられて良い。手入れにはご苦労と思ふ。

 境内に石祠があった。表示は無かったが、境内社「祖霊社(石井孝二郎翁命奉斎)」と思はれる。
 その近くに「人道之碑」がある。碑文によると、昭和九年三月九日、武藤山治(2)が北鎌倉駅近くで襲われ、銃弾の前に身を挺した秘書青木茂とともに凶弾に斃れた。義憤を呼び起すものであり、人道の鏡とすべく碑を建立したと云ふ。碑文の最後は「英魂よ願はくは永遠に安らけく鎮まり給へ 昭和三十八年三月十日(廻忌三十年)」と閉められてゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 脇参道入口。当初、正面かと思ったが、写真2が正面。
 社号標は昭和四十九年五月に奉納

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 参道入口

写真3 写真3 拡大 (1280×960)


写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿正面
 狛犬は昭和四十五年の奉納

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 御本殿

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 拝殿内

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 境内社と人道之碑

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 社殿前からの眺め
 鳥居と狛犬の間に昭和四十五年奉納の灯籠がある。
 社殿に向って右側灯籠の近くに石祠と人道之碑がある。

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 社務所 社殿に向って右側にある


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.89-90
  2. 令和5年3月2日閲覧 武藤山治についてはこちら参照:Wikpedia 武藤山治 (実業家)

改訂記録
  • 令和06.02.04 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。

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