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| 杉山神社 (神奈川県横浜市鶴見区岸谷)
参拝日 令和2年6月7日(日)
作成日 令和3年2月8日(月) 改訂日 令和6年3月12日(火) |
よみ | すぎやま じんじゃ | |||
横浜市鶴見区岸谷 1-20-61 (35度29分12.92秒 139度39分1.25秒) 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) | ||||
地図 | 参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等 | 神奈川県神社庁 神社情報 杉山神社 | |||
祭神 | 日本武尊 ( やまとたけるのみこと ) | |||
由緒 | 拝殿に向って左社前に由緒書が掲示されてゐる。
神奈川県神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)。
新編武蔵風土記稿には次の様に載ってゐる(2)。
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雑記 | 京急の生麦駅から西へ0.3kmの所に鎮座してゐる。比高30m弱の丘上へ長い階段を登って社前に至る。
東海道は、原神明社の直ぐ南を東北東から西南西へ通ってゐた。風土記稿に「海辺ノ西ノ方六十間ノ余引入テアリ」とあるが、距離が合はない様に思ふ。 石像物に、日露戦役記念之碑、参道修復駒寄寄進の碑(昭和五十三年七月吉日)があり、狛犬(階段を登った所)は明治十三年再興とある。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) | |
写真1 拡大 (1280×960) 社頭 鳥居は昭和十四年八月建之。 | |
写真2 拡大 (1280×960) 鳥居には、「天明元辛丑歳六月吉日」とある。天明元年は西暦1781年。 | |
写真3 拡大 (1280×960) 境内 左から、灯籠、手水舎、舞殿(赤い屋根)、拝殿、杉山神社保育園 | |
写真4 拡大 (1280×960) 拝殿 | |
写真5 拡大 (1280×960) 社殿側面 | |
写真6 拡大 (1280×960) 拝殿内 | |
写真7 拡大 (1280×960) 祖霊社社前 石碑には次の様に刻まれてゐる。
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昭和四十四年十一月に祖霊社の由緒書も大きな板に墨書され掲げられてゐるが、文字は半分ほどがかすれてゐる。
また、氏名と写真も掲げられてゐる。 社殿に向って右斜め前には石碑があり、上記板に墨書された由緒が刻まれてゐる。次の様。(漢字は正字体を使用してゐるが、当用の字体に置換へた)
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写真8 拡大 (1280×960) 祖霊社社殿 | |
写真9 拡大 (1280×960) 境内社 向って右は、道念稲荷社。生麦4丁目の道念稲荷神社の石碑によれば「一説によれば竜泉寺に寄食せる道念和尚が村人の信仰を受け、竜泉寺より當地に社を建て竜泉密寺と記された木片と観音堂を祀り、道念稲荷と称されて現在に至る。尚、竜泉寺境内に元社、杉山神社には分社が祀られている」(4)といふ。 また、「郷土史家の池谷健治氏の説によれば、建武の昔、南朝の重鎮新田義貞の子義興が延文三年十月十日、矢口の渡しにおいて、竹沢右京亮、江戸遠江守らの謀にかかって憤死した折、従者の一人道念坊が逃れて、岸谷の奥房野に庵を結んだとの事」「奥房野道念稲荷は明治になって杉山神社境内に遷座しました」といふ(5)。 | |
出典・脚注
改訂記録
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