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水神社 (横浜市鶴見区生麦)

参拝日 令和2年6月7日(日)
作成日 令和3年2月8日(月)
改訂日 令和6年3月11日(月)
 
よみ  すいじんじゃ  
所在地  横浜市鶴見区生麦 4-31-27
  (35度29分43.87秒 139度40分28.62秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 水神社
祭神  速秋津彦神 (はやあきつひこのかみ)
 速秋津姫神 (はやあきつひめのまき)
由緒  掲題に由緒の掲示はなかった。
 神奈川神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 不詳。宝暦年度再建すとあり。
雑記  京急電鉄の生麦駅から東へ0.6kmの所に鎮座してゐる。

 境内には由緒書は無く、神奈川神社庁誌にも僅かな記述しか無い。
 境内に在る石像物に刻まれた、生麦漁業協同組合、生麦魚介類商業組合、舩総一同、といった名を見ると漁業関係者により維持されてきた神社なのだと知れる。

 「生麦漁業協同組合記念之碑」の背面は「生麦漁業協同組合あゆみの碑」となってゐる。あゆみの碑によると、(一部略)
  • 昭和24年 創立
  • 昭和32年 扇島埋立事業成る
  • 昭和33年 大黒町地先埋立成る
  • 昭和34年 根岸湾海面埋立成る
  • 昭和34年 東京国際空港整備拡張工事成る
  • 昭和38年 本牧埠頭並に関連産業用地造成成る
  • 昭和46年 富岡町地先根岸湾「八地区」埋立事業成る
  • 昭和46年 大黒埠頭地埋立成る、組合所有漁業権消滅全組合員漁業廃業
  • 昭和48年 漁業補償配分す
  • 昭和58年 大黒ふ頭補償用地麒麟ビールに売却す
  • 昭和58年 東扇島埠頭保証用地三菱自動車に売却す
  • 昭和59年 東扇島埠頭保証用地東急ストアに売却す
          補償用地配分完了す 組合員339名
          水神宮神輿一基奉納す
  • 昭和60年7月28日 組合解散す
と。

 テレビ番組の鉄腕ダッシュといふ番組で、東京湾内の海岸で渚の再生にあたってゐる様子が放送されてゐる。鶴見川左岸の直ぐ近くだからここからも近い。観てゐると、豊かな海なんだと思ひ知らされる。昭和30年代から公害で沿岸漁業の先行きが暗かったかも知れない。幸ひ、現在は水質は良くなった。海岸が健全だったら漁業も早い者勝ちで漁をせず、大きく育った一定量だけを適時に収穫してゆけば、楽な仕事に思へる。
 そのやうな先祖から引継いできた海をお金に換えざるを得なかったのは、気の毒な気がする。 

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

鳥居は、柱に「南町 舩総一同」「大正拾五年十二月吉日」、台石に「昭和五十九年六月修復」とある。

写真2 社殿正面
写真2 拡大 (1280×960)

社殿正面

狛犬は、「昭和二年三月吉日」と年記がある。

写真3 社殿
写真3 拡大 (1280×960)

社殿

写真4 手水舎・水神宮碑
写真4 拡大 (1280×960)

手水舎・水神宮碑

向って右側の碑は、「鎮守貳百貳拾八年記念建之」「昭和五拾七年五月吉日除幕」、「生活安泰祈願水神宮膝元住人」として150名ほどが刻まれてゐる。

写真5 生麦漁業協同組合あゆみの碑
写真5 拡大 (1280×960)

生麦漁業協同組合あゆみの碑


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社庁誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.7〜8

改訂記録
  • 令和06.03.11 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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