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鹿島神社(神奈川県横須賀市逸見)

作成日 平成27年8月14日
よみ  かしまじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成26年4月19日(土)
所在地  横須賀市西逸見町2-70 (北緯35度16分55.80秒 東経139度39分2.89秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 鹿島神社
祭神  武甕槌神 ( たけみかずちのかみ )
由緒  境内の案内板には次のように記されてゐた。
鹿島神社

鎮座地  横須賀市西逸見町二丁目七十番地
祭神   武甕槌神(たけみかづちのかみ)

由緒沿革
応永十七年(1410年)四月八日、三浦遠江守が常陸より鹿島神社を勧請したと「新編相模国風土記稿」に記されている。
また、天正二年十一月二十日、朝日奈六天夫造営の棟札、さらに寛永十三年八月二十四日、三浦按針(英人ウイリアム アダムス) の子が社殿を造営した旨の棟札を存したが、明治二十四年七月二十八日の火災にて社殿は全焼した。同年八月仮殿を造り、 本殿とともに消失した境内社の山王社(元禄十一年九月勧請)を合祀する。
明治二十八年六月五日、現在地に社殿を造営して遷座した。旧鎮座地は、逸見森崎字七番752番地の鹿島崎と呼ばれる海辺 (現海上自衛隊内)であった。
例祭日は従来九月二十九日であったが、明治二十九年より遷座した六月五日に改めた。
明治四十一年一村一社とする動きにより、逸見内の稲荷社、熊野社、神明社、浅間社、子神社、山神社を合併し、明治四十三年 内務省により『指定村社』に列せられた。
   平成二十五年四月吉日  伊藤香泉謹書
           (寄贈 有限会社 按針)
雑記  横須賀港の自衛隊基地で催しがあり艦艇の見学もできると聞いて出かけた、その折に参拝した。基地見学の方は人出が多く、着いたときは 入場できなかった。かういふ催しに来ようとしたのは初めてだったが、来て判ったのは人気があるといふこと。朝早く出なければいけない。

 当社は、京浜急行逸見(へみ)駅から北西へ300mほどのところにある。南西1kmには按針塚がある。
 「宮神輿」が出るのは、三年に一度らしい。

 「逸見は、日本で唯一外国人・按針が領主として治めていた歴史上重要な町です。」といふ。旗本になった時点で、今で言ふ帰化したといふことだらう。 ウィリアム・アダムズ(三浦按針)はイギリス生まれ、豊後の臼杵に漂着、大坂城で徳川家康に謁見、日本で初めての洋式帆船を建造した。


平成26年4月19日撮影 左端に見えてゐるのは日露戦争以降の戦没者慰霊碑、昭和三十九年建立。

平成26年4月19日撮影

平成26年4月19日撮影



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