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座間神社(神奈川県座間市座間)

作成日 平成23年11月19日
追記日 平成24年3月**日
よみ  ざまじんじゃ
所在地  座間市座間1-3437(北緯35度29分35.1秒、東経139度23分35.3秒)  ゼンリン地図
HP  座間神社
祭神  日本武尊
由緒  頂いた「座間神社略誌」より
「相模の飯綱さま」と親しまれている当神社の創祀は神代と云われていますが、一つは欽明天皇の御代(539〜571)に、狭間郷(座間の古名)に悪疫が流行した折に飯綱権現の化身である白衣の老人が現れ、崖下の森の中に湧く清水を使うようにすすめたので、村人がそのすすめに従ったところ、悪疫はやみました。そこで飯綱権現を祀ったというのです。
別の説(明治十二年編成皇国地誌)では、約八百年前の源頼朝が鎌倉へ幕府を開いたころ、悪疫が流行した時に白衣の老人が来て、日本武尊を祀れば悪疫が治ると教えたので、日本武尊を祀ったといいますが、その時代は生和二年(1313)で、祭神は飯綱権現だという説もあります。飯綱権現は、江戸時代には防火の神として信仰されていて(本来は伊勢の豊受大神と同じ食物の神様)、長野県の飯綱権現社が本社でした。座間神社と改めましたのは、明治九年で日本武尊が野火で攻撃された時、剣で草を刈って防いで勝ったという神話にもとづき、後世防火の神様ともされていましたので、明治時代になって村社とされるとき、同じくご利益のある日本武尊に祭神が改められました。正和二年、社殿を再建します。
この頃より武家の参詣が相次ぎまして、慶長七年(1602)には領主内藤修理亮清成が一統を率いて参拝して武運長久、氏子の繁栄を祈られたという記録もあります。また、古くからこの地は、八王子街道の宿場街として栄え、ここを往来する人々、また生糸を運ぶ社領の安全を祈念した人々で社頭が賑わいをみせたとも伝えられています。
境内地 六千坪
(中略)
明治四十二年五月村内各所に鎮座する、天神社、蚕神社、浅間社、明王社、山王社、道神社を境内に奉遷し寄宮として奉鎮した、(中略) 昭和六十年四月天皇陛下在位六十年を記念して寄席宮の改修(後略)
境内には、稲荷神社(飯綱稲荷大明神)もある。
由緒を刻んだ石碑(昭和五十一年建立)には、「昭和三年二月蚕神社を奉祀す」とある。
参拝日 平成23年1月30日(日)
雑記  参道は相模川左岸の田名原段丘から中津原段丘の崖を登って社殿に達する。背後は在日米軍基地(旧陸軍士官学校)がある。段丘の崖に沿っていくつもの湧水があり、座間神社の湧水もそれらの一部であらう。神社の500m程南にある番神水(ばんじんすい)湧水は夏には日量659トンの湧水があるといふが、昭和12年頃に陸軍士官学校の用地になった頃から減少に半分くらいになってゐるといふ。
 座間市の水道水のかなりの部分は地下水でまかなはれてゐる。隣の市から越した冬に、洗濯に使ふ水が温かく驚いた記憶がある。水位が低下するといふことで、今では若干量を県営水道から供給を受けてゐる。


平成23年1月30日撮影
一の鳥居

平成23年1月30日撮影
三の鳥居

平成23年1月30日撮影

・24.03.** 地図を掲載
・令和2年10月3日 地理院地図へのリンク修正


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