よみ
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参拝日
| 平成26年11月22日(土)
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所在地
| 富山市安野屋町2丁目 (北緯36度41分34.84秒 東経137度12分13.72秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP
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祭神
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由緒
| 境内の案内板にはつぎのやうにある。
金刀比羅神社由來
神通川は安政二年のころ度々大洪水をおこし堤防が決壊し河川は大はんらんした
当時七軒町在住の漁師余川氏の夢まくらに「我は金刀比羅大権現にてこの洪水によって飛騨の高山よりきたれば
この地に祭事を行うよう」とのお告げがあった
夜明けを待って神通川(現在の金刀比羅神社横)へ駆けつけたところお告げ通り桧○○上に石の御神体が
流れ着いておられるのを発見した
御神体はひとまず鹿島神社に○安○申し上げた
当時現在の場所は数百年の樹令を数える欅や榎が生い茂る森嚴な地であった
安政五年神社建立の際その中の何本○○藩○り払い下げていただき金刀比羅神社の本殿並びに拝殿の建立にあてた そして
舟運安全 家内円満 商売繁盛などを司る河川の守護神○○○七軒町住民一同の手でお祭りする○○に○○○
その後 病気平癒祈願のため近郷近在より多数の人々が参詣され霊験あらたかな神として信仰をあつめている
昭和五十一年六月十日
金刀比羅神社奉賛会
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石碑があり、文章はつぎのやうだった。
橘文藏頌コ碑記
翁ハ富山市七軒町ノ人家廿世神通川畔ニ在リ資性温厚○ニ勇ミ仁ニ篤ク
敬神崇祖ノ念ニ富ム夙に河川漁業ノ改善振興ニ志シ最モ心ヲ魚族ノ養殖
ニ用フ明治三十八年富山上新川婦負水産組合議員ニ擧ケラル同四十一年
ノ秋皇太子殿下富山市ニ行啓ノ際神通川鮎漁○台覧ノ榮を辱ウシ益益其
指導奨勵ニ力ム同四十五年四月神通川御獵場ノ指定アルヤ宮内省ヨリ監
守ヲ命セラル大正十一年法規ニ拠リ新ニ富山上新川婦負水産會ノ設立ヲ
見ルヤ選ハレテ會長トナル昭和六年帝國水産會議員ニ擧ケラレ同八年富
山縣水産會副會長ト為ル又大正二年ヨリ富山市會議員ニ挙ケラルルコト
五次其間或ハ名譽職參事會員或ハ市會議長トナル顧フニ翁ハ終生水産業
ノ發達ニ盡瘁シ殊ニ神通川ニ於ケル岐阜縣トノ紛議ニハ翁毎ニ奔走斡旋
ニ力ム又水力發電事業勃興ノ為メ河川魚族ノ減滅ヲ憂ヒ諸般ノ施設對策
ヲ講ス又市政ニ參与シテハ忠實私ヲ顧ミズ是ヲ以テ昭和四年本縣神職會
ヨリ敬神功勞者トシテ表彰セラレ同九年本縣知事ヨリ水産功勞者トシテ
表彰ヲ受ケ又市ヨリ金杯ヲ受ク翁平素強健ナリシモ昭和十一年五月十五
日疾ヲ以テ逝く享年五十有八地方皆之ヲ哀惜ス○ハ文蔵其没後襲名シ男
又三家ヲ嗣ク今ヤ有志相謀リテ碑ヲ七軒町地先神通川舊堤畔ニ建テント
シ題ヲ有馬農林大臣ニ請ヒ余ニ文ヲ需ム余多年翁ト親交アリ不文の故ヲ
以テ辭スルヲ得ス仍テ其梗概ヲ録シテ記ト為ス
昭和十三年十一月下浣 元富山市長勲六等 井上政寛
従七位青柳政治書
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背面には建設者として
富山上新川婦負水産會 神通川漁業信用組合 神通川土石販賣利用組合 神通川舟運業者一同
の名がある。
読み 力ム:つとむ 辱:かたじけな・い
漢字(正字:新字体) 擧:挙 榮:栄 勵:励 獵:猟 會:会 國:国 譽:誉 參:参
發:発 盡:尽 縣:県 對:対 實:実 勞:労 舊:旧 辭:辞
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雑記
| 先に訪れた諏訪社の西250mの所にある。松川の右岸にある。神通川は、当社から西へ200mで右岸堤防に至る。
JR富山駅からは、南西1.2kmの所にある。
由来や顕彰碑に記されたことを読んで、神通川ってもっと向かうだらう、と思ってゐた。
ところが、富山空襲に関連して磯部御庭の富士についての記事を読んでゐて、掲載されてゐる明治期の地図をみると、何かおかしい。
要は、松川の所が神通川でお城の北へ向かって蛇行してゐた。
調べたら、洪水防止のために短絡する分流路を作り、洪水時に流れるやうにしたところ本流になってしまったといふ。県庁や市役所は元の本流だった所。
境内は舗装されてゐる。狭いところに車の駐車場になってゐるのだらうか、狛犬辺りに3台も入ってゐる。お参りしにくかった。
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