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富山縣護國神社(富山県富山市磯部町)

作成日 平成28年3月26日
よみ  とやまけんごこくじんじゃ
参拝日  平成26年11月22日(土)
所在地  富山市磯部町1丁目 (北緯36度41分23.50秒 東経137度12分4.83秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP   富山縣護國神社 (Wik)
祭神  富山県出身の御英霊
由緒  別表神社
 ・大正二年八月富山縣招魂社として鎮座。
 ・昭和十四年富山縣護國神社と改称。
 ・昭和二十年八月一日の空襲で手水社を残して焼失。
 ・昭和二十二年四月富山縣鎮靈神社と改稱、同十月仮社殿竣工
 ・昭和二十六年十月富山縣護國神社と復稱
 ・昭和二十九年十月現社殿が竣工
 ・平成四年大拝殿他造成
 ・平成七年八月大東亜戦争終結五十周年の臨時奉幣大祭斎行
 
祭神は28679柱(Wikpediaによる)
雑記   「磯部富士」と題した碑がある。
富山藩二代ノ主前田正甫公賢明英武ヲ以テ聞ユ公城西磯部村藩士近藤善右衛門ノ邸ニ生マル 元禄年間公磯部ノ地山川ノ勝ニ富メルヲ愛賞シ一大遊園ヲ設ケ近江八景ヲ作リ東海道名所ヲ模造シ富士山ヲ築タ 世之ヲ磯部御庭ト曰フ爾後年ヲ経テ御庭荒廃ニ歸シ今ヤ僅カニ此富士山ノ遺址ヲ有スルノミ 明治四十五年五月富山縣招魂社ヲ建設セラルルヤ遺址所有者橋本孝之ヲ社ニ寄附シタリ 因テ社地ニ編入シ永久保存以テ正甫公敬慕ノ記念トナス
 大正二年九月  富山縣招魂社建設委員長濱田恒之助
参考 前田正甫:まえだまさとし  濱田恒之助:当時の富山県知事

富山市郷土博物館 博物館便り 第二十二号によると、 明治中期には1/3しか残ってゐなく、昭和二十年には護国神社の御霊代及び消防車の掩待壕(防空壕)が作られ、昭和32年には撤去されたといふ。 8月1日の富山空襲で手水社以外の全ての社殿を焼失したけれども、御霊代は無事だったといふ。

境内社に伊佐雄志神社(一般戦災死没者の追悼(総務省)) があるが、訪問時には気づかなかった。
・昭和五十一年八月一日富山縣鎭靈神社造営(それまでは仮殿)
・平成ニ十二年九月伊佐雄志神社と改称

 境内には幾つもの碑があった。慰霊碑「嗚呼 トラック諸島」には二百余柱の名が、砲弾二つを添へた支那事變記念碑、 陸軍少年飛行兵慰霊の「つばさの塔」、「ニューギニア」、千四百余名の命を失った富山県満蒙開拓者の碑。 それぞれ、由来や建立の趣旨を読むと、改めて今の日本のやりきれなさを感じる。




社頭から北アルプスの山々を望む



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