よみ
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参拝日
| 平成26年11月22日(土)
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所在地
| 富山市鹿島町2丁目 (北緯36度41分18.03秒 東経137度12分14.22秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP
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祭神
| 由緒欄参照
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由緒
| 社頭の案内板には次のやうにあった。
鹿嶋神社御由緒
一、御祭神
主神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)
(薬神)
配神 少彦名命(すくなひこなのみこと)
前田正甫公
一、御由緒
鹿嶋神社の主神は武甕槌命と申し上げ、富山鎮護の社として桃山末期に創立。御神格は国家安泰・民生安定の守護神にして、
当地開拓の始めに磯部一帯に亘り広大なる境内を有し御鎮座になっていた。
二代富山藩主前田正甫公は、鹿嶋の神を産土神として特に御崇敬になり、病門除祈願所として医薬の道の繁栄と
藩民の健康長寿を祈願され、その後富山城下の祭として盛大な祭礼が行われたのである。
また民間信仰として水神の御神徳又顕著にして「雨降って御座った鹿嶋(かしわ)はんの祭」と唄って、御祭神を讃へ奉れり。
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境内にある富山市による案内板には次のやうにあった。
前田正甫公誕生地跡 鹿嶋神社由来
この神社の境内の一部は富山藩祖の時代には家老を勤めた近藤前右衛門長房の下屋敷であった。越中売薬の開祖で、二代目藩主
前田大蔵正甫公は、慶安二年(1649年)にこの近藤氏邸内で誕生したといわれている。その産湯井は現拝殿のやや南方にあったと伝えられている。
正甫公は、有沢にあった鹿島神社を特に崇敬し、産土神の武甕槌命の社殿をこの地に移し改築して、富山藩の鬼門よけとするとともに、
越中売薬の普及発展を祈願したといわれる。その後、当神社の祭礼は富山城下の祭りとして毎年全町民が参拝したといわれている。
平成七年 富山市
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雑記
| JR富山駅から南南西1.6km、富山地方鉄道市内線の安野屋駅からは南へ0.5kmのところにある。
先に訪れた護国神社からは東南東へ0.3kmと近い。富山城趾からは南西.07km。
元の鎮座地有沢は現在地の南西1.5kmあたり(神通川左岸)らしい。
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