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御船屋稲荷神社(長野県長野市松代町)

作成日 平成29年6月24日
よみ  おふなやいなり じんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年10月3日(月)
所在地  長野市松代町松代91-11 (北緯36度34分1.19秒 東経138度11分56.70秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  
祭神  
由緒  単立と思はれる。
 由緒が掲示されてゐて、次のやうに記されてゐる。
御船屋稲荷(おふなやいなり)の由来

 千曲川が松代城の北裏から、この稲荷社の北を流れていたころ、藩の御船屋(御船蔵(おふなぐら))がこの地( 不二越工場跡)にあって領内七ヶ所の渡船場(矢代・赤坂・寺尾・関崎・小市・市村・布野)支配の役所が置かれていました。
 寛保二年(1742)の「戌の満水」(いぬのまんすい)と呼ばれる記録的な大水害後、千曲川を北方の現在の地に移したので、御船屋は廃止になって、その跡に藩の道橋方(みちはしかた)(土木関係)の役所が設けられて、鎮守として稲荷大明神をまつったので「御船屋稲荷」とよばれました。
 享和元年(1801)二月、道橋奉行の金井縫殿丞・石黒和左衛門・矢野源八らが、京都の神祇官に願って「正一位稲荷大明神」の神号を許され、特大藩主真田幸広公の筆になる「御神号」を御神体として祭りました。以来城下の竹山稲荷など数か所の稲荷社と共に二月の初午祭が盛大に行われました。
 明治四年(1871)廃藩によって道橋方は廃されたので、稲荷社は御廐町(おんまやまち)の町内持ちとなって祭典が引つがれ、今日に至っております。
2000年二月吉日 北村 保
  平成六年十二月吉日拝殿・社務所改築 御廐町
雑記  松代城跡から東北東へ0.3km、元松代駅からは北東へ0.15kmの所にある。
 上記由来にある千曲川の瀬直しは、附近の地図の高低差をみると元の河道が判る。現城跡から西北西方向については、0.5km離れた所に移されたやうだ。鳥居は、朱の鳥居のほか、社殿に最も近い位置に石製の台輪鳥居がある。また、「文政六未二月初午」と刻まれた石灯籠がある。

 バスツアーで来てゐて、上信越自動車道の長野IC近くのホテルに泊ったので、早朝、歩いた。松代城を目指して歩いてゐたところ、当社に出会った。
 城の南側には、廃線になった長野電鉄屋島線の松代駅が残ってゐる。屋島線は大正十一年開業で、大東亜戦争中は不要不急線として廃止される予定だったが松代大本営建設のため廃止は返上され、貨物輸送に利用されたといふ。廃止は平成二十四年四月一日。
 松代大本営跡の一部である象山地下壕を見学したかったが、ツアーには組込まれてをらず、ツアーは宿泊だけで素通り。心残りであった。

写真




松代駅舎。駅舎西側から撮影。元のホームや幾本かの線路があった部分は駐車場として使はれてゐる。


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