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荒神堂(長野県長野市松代町)

作成日 平成29年6月24日
よみ   地理院地図
参拝日  平成28年10月3日(月)
所在地  長野市松代町松代762 (北緯36度34分8.53秒 東経138度12分7.38秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  
祭神  毘沙門天
由緒  向拝に次の文言が掲示されてゐた。
荒神堂

 弘治三年(1557)海津城築城の際に既に荒神堂は存在し、当時つくられた町名の由来となる。この堂の瓦屋根は弘化三年(1845)に葺き替えている。入母屋造り妻入向拝付。立川流の彫刻、正面虹梁の菊華・神亀・中備の龍・手挾の松鶴が見事である。
 社殿は下陣・中陣・内々陣より後世され、内々陣にも細微な彫刻を施した極彩色の宮殿に本尊を祀る。本尊脇には火神三柱神社社殿を置く。
 背面は旧千曲川流域沿いの傾斜地故に床下は特殊な高架建築構造である。
松代登録文化財の会
海津城=松代城
雑記  松代城跡から東北東へ0.6kmのところにある。

 荒神堂の背後には船繋ぎ石があり、次の説明が掲げられてゐた。
船着き場跡

千曲川に初めて通船が許可されたのは寛政二年(1790)西大滝村から高井福島村間十三里(五十二km)である
松代藩は文政四年(1821)通船に参加 松代から飯山間を運行した
東寺尾逢橋(蛭川橋)より一町程下流の千曲川から荒神町裏まで幅二間の運河を開きここに諸荷物取扱会所を設け越後より米塩・魚類穀物等の荷物を陸揚げし地方の産物を越後へ輸出した ここは千曲川を遡った通船による荷物運搬の船着き場であった 船繋石
荒神町

 「堂」「本尊」は仏教用語なので神社と捉えるのは疑問に思ったが、地理院地図には記号「⛩」があるので掲載する事にした。
 建物は国登録有形文化財となってゐる(平成18年登録)

写真




船着き場跡の船繋ぎ石。右の建物は荒神堂。


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