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伊豆山神社(静岡県熱海市伊豆山)

参拝日 平成29年9月21日(木)
作成日 平成30年2月20日(火)
追記日 令和6年4月17日(水)
よみ  いずさんじんじゃ  
所在地  熱海市伊豆山708-1 (北緯35度6分56.00秒 東経139度4分56.69秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  Wikipedia:伊豆山神社
 当社HP
祭 神  正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
 拷幡千千姫尊
 瓊瓊杵尊
由 緒  境内の掲示には次のようにあった。 小文字の( )内は振仮名部分
伊豆山神社略記
【御祭神】
伊豆大神 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさやあかつかつはやひあめのおしほみみのみこと)
     拷幡千々姫尊(たくはたちちひめのみこと)
     天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)
【社格】 旧国幣小社
【例祭日】 四月十五日
【鎮座地】 本殿は、相模灘を一望に望む、海抜百七十メートルほどの地点にあります。境内は歌枕に名高い伊豆の御山(おやま)、子恋(こごい)の森の一部で、約四万坪の広さがあります。この場所は、かつて上宮(かみのみや)と呼ばれていました。参道の階段を下って海抜五十メートル弱の地点には下宮(しものみや)の跡地があり、さらに伊豆浜に下ると走り湯(はしりゆ)があります。また、海抜三百八十メートルほどの頂きに、本宮(ほんぐう)があります。伊豆の御山は、日金山(ひがねやま)や岩戸山(いわとやま)に連なり、伊豆・相模・駿河の三国にまたがる広大な神域の要です。
【御由緒】 ○関八州総鎮護伊豆山神社は、かつて伊豆御宮(いずのおんみや)、伊豆大権現、走湯大権現(そうとうだいごんげん)と称され、略して伊豆山(いずさん)、走湯山(そうとうさん)と呼び親しまれてきた、強運守護、福徳和合、縁結びの神様です。
○祭祀の創まりは遙か上古に遡り、本殿に祀られる木像男神像(平安時代中期、日本最大の神像)は、『走湯山縁起』が応神天皇の御代に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたと伝える伊豆大神の御神影をあらわしています。
○その神威の源は、涌き出づる霊湯「走り湯(はしりゆ)」です。走湯(そうとう)権現とはこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神である当社の神徳に由来します。
○神威を被るところは、沖合に浮ぶ初島(はつしま)をはじめとする伊豆の島々、伊豆半島、共に二所(にしょ)と呼ばれた箱根や、富士山に及びます。後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所(よものれいげんじょ)」のひとつとうたわれたように、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密(けんみつ)神道を学ぶ名高い道場となりました。熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られています。
○平安時代後期、この伊豆山に修行して富士登山を重ね、冨士上人と呼ばれた末代上人(まつだいしょうにん)は、鳥羽上皇をはじめ貴族と民衆に勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。伊豆山から富士につながる修行の道は、そののち平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに当社に深い信仰を寄せ、当社の加護のもとで平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となるに至る、いわば東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台となります。鎌倉将軍の参詣する二所詣の聖地となった当社は、威光を輝かし、格別の尊崇を集め、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられました。武家が誓いを立てる時の起請文には、誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねられています。
○そうした神徳を讃え、鎌倉三代将軍源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金槐和歌集』に収められています。平安時代の女流歌人として名高い相模や鎌倉時代の阿仏尼も、参詣して百首和歌を奉納しました。その伝統は、中秋の名月に熱海市が主催する伊豆山歌会に受継がれています。
○明治維新の神仏分離令により伊豆山神社と改称されてからも、伊豆大神の神威は絶ゆることなく、大正三年一月十三年には皇太子であられた昭和天皇、昭和五十五年九月十二日には皇太子浩宮徳仁親王殿下が御参拝になられました。
○平成二十三年九月十九日には、新たに『走湯山秘訣絵巻』が奉納されました。関八州総鎮護伊豆山神社の歴史は、東日本大震災からの復興ひいては日本と世界の平和の歩みを支え、未来永劫に築かれていきます。

○宝物
後奈良天皇辰筆『般若心経』一巻、古剣一振、男神立像(以上国指定重要文化財)、伊豆山経塚遺物ほか、多数の宝物を所蔵しております。


 境内社の雷電神社については、伊豆半島に幾つもある雷電神社・火雷神社の本宮ともみられる。社殿前に案内板があり次のやうに記されてゐた。
摂社 雷電神社(若宮)
御祭神 伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)
例祭日 三月十五日
御由緒 創立年代は不詳ですが、吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興しそののち、暦王四年に足利氏が、慶長十七年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和十年に内務省によって改築。
政治を司り導く神として、室町時代には全国に多数の社領を有しておりました。
御神徳 (略)

 「伊豆山神社を式内社火牟須比命神社に比定する説と、境内摂社の雷電社を比定する説の2説ある」(1)らしい。 子恋は、「もとは「古々井」と書き、式内小河泉水神社の論社として名のあがる「古々井社」は此の地にあったとされている。 「古々井社」はその後廃絶し、祭祀の継承は不詳である。「古々井社」は火牟須比命神社・小河泉水神社・波夜多麻和氣命神社・伊波例命神社の実に四社もの式内社の鎮座地として名があがっている」(1)、といふ。
 明治神社誌料(2)には次のやうに載つてゐる。
雷電社は元と雷電権現又は若宮と称し、牟須夫峰(当社二次の鎮座地)に鎮座あらせられたりしが、後ち当社境内に遷し奉れるなり、伴氏当雷電社を以て、式の火牟須比命神社に充てて云く「今曰雷電宮在伊豆権現上宮東傍」と、記して後考を俟つ。
雑 記  東海道線熱海駅から北北東へ1.4kmの所にある。走湯神社のある浜からは837段の階段の参道がある。多くの人が訪れる、市道の「伊豆山神社前」バス停のある所からは、残り二割の189段ある。

 参拝者は途切れる事無く訪れてくる。しかし、子恋の森の方へ行く人は見当らない。伊豆山郷土資料館へ行く人も見えない。そんなわけで、資料館を一人でゆっくり見学し、本宮へ向けて山道を登った。

 本日は別表神社の一つである伊豆山神社参詣し、可能なら来宮神社参詣も、と考へて出かけてきた。
 参道は殆どが階段で、起点の浜から本殿前まで837段ある。ここまで来たならさらにと、本宮社まで行くことにした。
 本宮社から当社に戻ってきた時には、膝が笑ふ状態になってしまった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  社頭(参道始りの浜から648段)


写真2


写真3


写真4  彫刻 拡大(346kB)


写真6  御本殿


写真5  雷電神社。


出典・脚注
  1. 平成30年2月12日閲覧 『延喜式神社の調査』子恋の森公園【古々井社跡地】
  2. 『明治神社誌料 府県郷社 上』 明治神社誌料編纂所 編 明治45年刊 静岡県県社之部 伊豆山神社 (漢字は当用の字体に置換えた)

改訂記録
  • 令和06.04.17 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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