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池宮神社(静岡県御前崎市佐倉)

作成日 平成23年7月10日
追記日 ────────
よみ  いけみや じんじゃ
所在地  御前崎市佐倉5162 (北緯34度38分29秒、東経138度08分38秒)
HP  桜ケ池 池宮神社
祭神  瀬織津比詳命(せおりつひめのみこと)
 (相殿) 事代主命(ことしろぬしのみこと)・建御名方命(たけみなかたのみこと) 桜ヶ池主神、皇円阿闍梨大龍神(こうえんあじゃりだいりゅうじん)
由緒 境内にある掲示番によると、
池宮神社
<御神祭>瀬織津比当ス・事代主命・建御名方命
<御神徳>(略)
<祭 日>例祭=春、秋の彼岸の中日  納櫃祭=秋の彼岸の中日
<御由緒>創祀は敏達天皇十三年(584年)に瀬織津比当スがご出現。社殿の造営がなされた。後、栄枯盛衰が激しく 平安時代初めには衰退し、社殿は大破した。然し平安時代中期一条天皇の長保三年(1001年)社家の遠祖源朝臣信栄が社勢を再興。
室町時代に入ると駿河・遠江を領有する今川氏の崇敬を受けたが戦国時代末期に武田・徳川両氏の高天神城争奪の地となり社殿 はじめ神宝、旧記、古文書の大部分を焼失。
江戸時代に神官信盛が再び興し徳川家の崇敬を受け、明治維新に至まで地頭の祈願所となっていた。
享保十六年(1731年)には正一位の神階宣示を受け、本殿は宝暦十年(1760年)拝殿は元文四年(1739年)に、時の大宮司従 四位下佐倉治部大輔源朝臣信幸が造営し、その名を池宮天王社とも称され現今に至る。
 桜ヶ池は、約二万年前にできた砂丘堰止湖で、約二万平方メートル。神社創建前から神格化されてゐたといふ。 この桜ヶ池に平安末期比叡山の名僧皇円阿闍梨が衆生救済のため、龍神と化し56億7千万年後の弥勒菩薩の出現を待って入定され、 池の主神となられたといふ。
 別な掲示板には次のやうに記されてゐる。
「おひつ納め」と「皇円(こうえん)阿闍梨」
皇円阿闍梨は肥後国(熊本県)に生れ、幼くして比叡山で学問・仏法を修行され、後に日本の歴史書「扶桑略記」三十巻を記した。
皇円上人は悟りの境地を得るため天台の「止観」という方法に基づき、様々な難行・苦行を重ねられた。しかしながら、仏法の 極め難きを知り、五十六億七千万年後に出現すると伝えられる弥勒菩薩に会うことを発願された。そして、その弥勒菩薩の教えにより 人々を悩みから救うことが出来ると考え、嘉応元年(1169年)六月十三日(九十六才の時)身を龍と化し、この桜ケ池に入定された。 おひつ納めは、後に皇円上人の高弟、法然上人(浄土宗開祖)が桜ケ池を訪れ、師である皇円竜神の安泰と五穀豊穣を祈り、赤飯を つめたおひつを神社に一個、桜ケ池に一個納めたことに由来する。
以後、親鸞聖人(浄土真宗開祖)、熊谷蓮生坊直実が継承し、以来八百数十年続いている奇祭である。
また、この桜ケ池は信州(長野県)諏訪湖と底が続いていると云い伝えられている。それはすべての命をはぐくむ水の神様を共 に崇め、感謝するという古代人から現在の我々に至までの心の底が通じていることを象徴している。御参拝の皆様も、慈悲深い 皇円上人、そして大自然の恵みに合掌して感謝いたしましょう。
補足
・龍  弥勒菩薩に会ふために、最も長生きとされてゐる龍になったといふ。
・阿闍梨の井戸  信濃善光寺に阿闍梨の井戸がある。皇円上人が遺言で、毎年大晦日の夜参詣し仏縁が切れないやうにしたい。 ついてはその一夜の宿の場所として、善光寺の金堂辺りを穿たうと思ふ、そして大晦日に突然大穴が飽き清水があふれた、といふ。
参拝日 平成22年10月11日(月)
雑記  高速道路1000円といふ制度を初めて利用して出かけた。遠くまで行けるのは良いがそれなりに時間はかかる。 行きたかったのは、砂丘と浜岡電力館。浜岡原発は、3月11日の震災以降、ひときは注目され、つひには運転停止を余儀なくされてゐる。 電力館では実物大模型が在り、興味深く見学した。圧力容器は思ったほど大きくはなく、それでゐて容器の厚さは30cmもある。 そんな電力館の展望台に上がると大きな鳥居が見へる。扁額には桜ケ池とある。北へ1kmの所に池・神社がある。


平成22年10月11日撮影
浜岡原子力館展望室(地上37m)からの鳥居。電線がいっぱいだ。

平成22年10月11日撮影

平成22年10月11日撮影

平成22年10月11日撮影
桜ケ池と皇円阿闍梨大龍神の祭壇

平成22年10月11日撮影


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