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敬満神社(静岡県島田市阪本)

作成日 平成29年5月20日
よみ  けいまん じんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年9月1日(木)
所在地  島田市阪本4054-1 (北緯34度49分3.13秒 東経138度12分13.71秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  静岡県神社庁 静岡の神社 敬満神社  Wikipedia:敬満神社
祭神  由緒欄参照
由緒  式内(名神大社)、郷社
 社頭の掲示には次のやうにある。
祭神 ・敬満神(きゃうまんしん) 少彦名命 天照皇大神・速須佐之男尊
合祀 ・建御名方命・事代主命・阿遇突知命(かぐつちのみこと)・御食都神(みけつかみ)・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
例祭日・十月十五日
境内社・大楠神社・水神社
御由緒
 当社は、遠く垂仁の朝二十六年の創祀と伝えられ(社伝)文徳の朝、仁寿三年に名神に預る神社に列せられ(文徳実録)清和の朝、貞観二年には「正四位下」を授けられ(三代実録)醍醐の朝には、国幣大社の列にあった(延喜式)ほどで、まさに古社であり名社であった。 近世に至り徳川幕府からは、先規に倣って社領を寄進せらるなど、皇室を始め武門の崇敬が篤く、古代榛原郷、その主邑たる初倉の鎮護として、この地方の尊崇極めて温厚なるものがあった。 降って明治維新の際、明治四年五月太政官より「官社以下定額」が布告された。それに因って郷土初倉の産土神として、明治六年郷社に列せられ、次で神饌幣帛料供進神社に指定された。
 尚昭和二十一年一月由緒上、県社たる資格のある旨神祇院から認定された。例祭日は郷内の祝日(旗日)として官公衛、学校を始め各戸休業して、敬意を表するのが通例であった。祭日には、諸社の管者としての地方長官の代理官として郡長、地方事務所長若くは村長が奉幣使となって参向し、また村の名誉職、学校長、職員生徒児童など、多人数が参列して、盛大に祭典が執行されたものである。
 こんな状況は、終戦時まで続いたが、戦争終結後の、神社制度変革を経て、国家管理をはなれた神社は、一抹の寂しさを帯びつつも、全氏子の団結力に支えられ、この赤誠こもる奉仕によって古社、名社のおもかげの保存につとめつゝ、現在に至っている。
島田市阪本4054番地
敬満神社


  (榛原郷:はいばらぐん・はいばらのこおり)
「当地一帯に居住した渡来系氏族の秦氏がその氏神を祀ったものと想定されている」(wikipedia)といふ。
雑記  東海道線島田駅から南南東へ3.0kmの大井川の右岸側にある。川原からは40m高い。

 駅前で自転車を借りる際、行先を聞かれ敬満神社へ行くといふと、親切に場所を教へてくれた。返したとき、何かあつたかと聞かれ、なにも、と返答。祭りでも無い限りそんなものと思ふ。

写真





左:向拝の扁額 右:本殿の扁額

式内郷社敬満神社 とある


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