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小梳神社(静岡県静岡市葵区紺屋町)

作成日 平成26年11月3日
よみ  おぐしじんじゃ
参拝日  平成25年8月3日(土)
所在地  静岡市葵区紺屋町7-13 (北緯34度58分24.6秒  東経138度23分11秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  静岡県神社庁 神社紹介 小梳神社
祭神  (由緒欄参照)
由緒  式内社。
 工事中のためか向拝右手に置かれてゐた案内板には次のやうにあった。
小梳神社

祭神          相殿祭神
 建速須佐之男命     大己貴命
 奇稲田姫命       天照皇大神
             金山彦命
             猿田彦命
由緒
 当神社創建の年代は詳かでないが 静岡市では最も古い神社の一つである 元の鎮座地は 現在の県庁の東南側の所であった その周辺一帯の地名を小梳と云い 後に東川辺と改められた 惣国風土記に「小梳神社所祭素盞鳴尊 奇稲田姫也 小梳後号東川辺 延喜式安倍郡小梳神社とあるは此社なり」と記載されている 大宝令の定めにより横田駅が設けられて以来は その守護神として信仰され 貞観の頃より祇園信仰が全国に拡まるにつれて 当神社は少将井神社とも云われ 江戸時代には一般町民からは専ら「少将の宮」と称されたようである
この東川辺の地に駿府城が築かれて以来は 府城の守護神としての崇敬が加わり 特に徳川家康が幼時今川家の人質として 当神社の宮前町に居住し撫育につとめた祖母華陽院と共に 日夜武運長久を祈願し 後年家康が大阪夏の陣に勝利し天下を平定して この駿府城に隠居するにあたり 代々徳川家の守り神と伝わる大己貴命、天照大神二神を 小梳神社に合祀し 少将井五所大神宮と称し 元和元年九月三日に林道春(羅山)に命じて この由を社請に幟さしの奉献したものが現存している
これよりさき 慶長十四年駿府城の城域拡張により 当神社はその城域内に入った
駿河大納言忠長は 不敬を冒すを畏れ 又庶民参拝の便をはかって 寛永八年に仮宮を造って奉遷し 延宝三年に現在の地に社殿を造営して遷宮した この造営の事にあたったのは城代松平右近を始めとし手待ち奉行大久保甚兵衛 外城番 番頭 加番 目付等である
翌 延宝四年から隔年に神幸祭が行われた この神幸祭はぎおん祭といわれ町奉行与力同心が警護にあたり加番衆より出し馬があり 駿府の町々は一番より四番まで組合を定め各町より屋台 台の物など踟物を出し駿府全域の町々を巡行した 当時のもようを駿国雅誌には「供奉の行列装束と粧い引連なる踟物の結構は都山王の祭礼に彷彿なり」と記されている
明治八年二月郷社に列し 明治四十年七月県社に昇格した
昭和十五年一月静岡市大火により社殿工作物を悉く失い 同年建築した仮社殿も昭和二十年六月の戦禍により再び炎上したが 昭和二十五年以来 本殿 社務所 手水舎 其他現在の建物を準じ復興建築した
昭和三十七年三月七日 北白川神宮祭主様が伊勢神宮の坊城代宮司 神社本庁佐々木統理を伴って正式参拝された
例祭日 七月二十七日
新庄道雄の石文
 駿河国三大地誌の一と高く評価されている「駿河国新風土記」の著者新庄道雄の碑が当神社境内にある 平田篤胤の撰文で 静岡市文化財に指定されている

静岡市による案内板があり次のやうに記されてゐた。
小梳神社
 小梳神社は、俗に少将井宮(少将井社)、略して「少将さん」と呼ばれ、駿府城の守護神として崇められていた建速須佐之男命、 奇稲田姫命、大己貴命、天照皇大神宮が祭神である。
 徳川家康は、駿府城造営の時も小梳神社を城内に残したが、寛永年中(1624〜1643)には、城内から移転し、再度、延宝三年(1675)に現在の所に移された。 家康は、今川義元の人質として駿府にいた時、小梳神社境内でよく遊んだ思い出の場所として、この神社を大切にしたという。「なをりその記」によると、 家康が人質として駿府に来た時、まず、この神社に立寄り、服装を改め、武運長久の祈願をして、その後に今川義元と対面したと伝えられている。 当時、造営に当った城代は、松平左近大夫で、延宝四年六月、神輿渡御の神事がはじまった。例祭日の七月二十七日、個の風習は、今なお、氏子の間に引継がれ、 隔年に大神輿が市内を巡幸する姿は、夏の風物詩の一つとなっている。
 明治以来、再三にわたる火災の被害に会ったが、その都度造営されるほど、地域住民が寄せる当神社の信仰には根強いものがある。
 なお、境内には、平田篤胤撰文による駿府の国学者新庄道雄の碑がある。
    昭和六十年一月
静岡市
雑記  東海道本線静岡駅から北西へ300mの所にある。 参拝時、社殿は「静岡市板金経堂組合 小梳神社 屋根 改修工事」の幕が掲げられ、工事中だった。


平成25年8月3日撮影

平成25年8月3日撮影

平成25年8月3日撮影 向拝の扁額 金山彦神社の名がある。境内社であった金山彦神社を合祀したためらしい

平成25年8月3日撮影 「霊水 少将の井 『本殿の下に井あり 夫婦和合の霊水湧き出す』と云い伝えられている」と案内されてゐる。



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