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焼津神社(静岡県焼津市焼津)

作成日 平成23年5月29日
追記日 ────────
よみ  やいづ じんじゃ
所在地  焼津市焼津2-7-2(北緯34度51分54秒、東経138度18分49秒)
HP  静岡県神社庁 神社紹介 焼津神社
祭神  本殿 日本武尊
 相殿 機微武彦命
    大伴武目連命
    七束脛命
由緒  式内社、県社、別表神社。旧称「入江大明神(いりえだいみょうじん)。「かつては現在地の南東数kmの地(現在は海の中) に鎮座していたが、次第に海に変じたため、現在地に遷座したと伝えられる。」
 頂いた「焼津神社略記」によると、
 当社は記紀所載の如く第十二代景行天皇四十年七月、日本武尊が弟橘姫を伴い、吉備武彦、大伴武日連の武将を従え、七束脛 を膳夫として夷御征伐の砌、此地で野火の難に逢われた際、天叢雲の剣で草を薙ぎ、向火を放って、悉く賊徒を討滅されたという 御事蹟を伝える御社で、延喜式神名帳搭載の駿河国益津郡焼津神社は、即ち当社である。駿河国諸郡神階帳によれば、神階正四位下 に叙せられ、入江大明神とも称えられて諸民衆から崇敬されてきた。
 創建は、駿河国風土記によれば、反正天皇四年己酉(西暦409年)と云われ、今川氏の代になって社領五百石の寄進をうけ、 徳川氏に至り、家康は社殿を造営し、又代々七十国の朱印高が附せられている。
 明治天皇御東幸の際は、官幣使差立の先触状があったが、官道より遠隔のため沙汰やみとなった。明治六年三月二十二日に郷社、 同十六年六月二十五日県社に昇格、昭和四十一年七月一日別表神社に加列した
参拝日 平成22年8月29日(日)
雑記  左右をきょろきょろしながら進むと、焼津神社仮殿の表示が目について、おやっ、と思ひつつも拝殿近くまで進むと、 「本殿改修工事のため焼津の大神様は広報の仮殿にお移りしています」との看板が立てかけてある。
 仮殿には、神社について説明書が掲げられてゐた。即ち「この焼津御霊神社は西南 日清 日露の戦役を初め第二次世界大戦までの 各戦役において戦没された焼津出身二千六百余柱の英霊を祀る社である 昭和二十七年十二月創建」とある。また、遺族会会長の かかれた書(昭和56年)が額に入ってゐるが、それによると、かつての焼津神社の拝殿で戦時中に移築され、浄財を集めて本殿を 建築した。昭和三十年の近隣町村合併により関係の英霊を合祀し二日間に亘る慰霊祭を斉行したが、焼津市体育館建造により市行事は そちらに移されたものの神仏隔年に慰霊祭を執行してきた、といふ。今から30年前のこととなるので、現在はだうしてゐるのだらう。 ご遺族は高齢で外出するのもかなはないこともあるのではないかと。(「焼津神社略記」によると毎月十五日に御霊神社月次際が 執り行はれてゐる)
 境内社に郷魂祠がある。「第二次世界大戦中、南方圏に第二の生産地を求めて雄飛した鰹節加工船団(皇道産業焼津践団)の 殉職者三百余柱を祀る」といふ。


平成22年8月29日撮影

平成22年8月29日撮影

平成22年8月29日撮影
本殿は改修工事中とのこと

平成22年8月29日撮影
御霊神社(焼津神社仮殿)



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