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日吉大社(滋賀県大津市坂本)

  
参拝日 令和2年12月10日(木)
作成日 令和3年7月10日(土)
改訂日 令和6年3月3日(日)
 
よみ  ひよし たいしゃ  
所在地  大津市坂本5  
 (35度4分18.21秒 135度51分43.73秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  滋賀県神社庁 神社詳細 日吉大社
 Wikipedia:日吉大社
 当社HP
祭神  東本宮 大己貴神
 西本宮 大山咋神
由緒  別表神社 元 官幣大社 式内社(名神大) 
 参拝時に頂いた栞には次の様に記されてゐる。
ご由緒

 比叡山の麓に鎮座する当大社は、およそ2100年前の崇神天皇七年に創祀された、全国3800余の分霊社(日吉、日枝、山王神社)の総本宮です。
 東本宮のご祭神である大山咋神は日本最古も書物である古事記にもその御神名が記されている比叡山の山の神様です。
 また、西本宮の御祭神である大己貴神は、天智天皇の御代に奈良から大津へ遷都が行われた際に奈良の三輪山より御神霊をお迎えし、国家鎮護の神として祀られました。
 平安遷都の折には、この地が都の表鬼門(東北)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方より崇敬を受け、今日に至っています。
(中略)
 中世には織田信長公の焼討ちによって、以前の建造物等全て灰燼に帰しましたが、その後の復興によって今日の姿となっています。
 Wikipediaには次の記述もある。
 日吉大社の東本宮は、本来、牛尾山(八王子山)山頂にある大山咋神が降り立ったという磐座・金大巌(こがねのおおいわ)を挟んだ2社(牛尾神社・三宮神社)のうち、牛尾神社の里宮として、比叡山の地主神である大山咋神を祀るために崇神天皇7年に創祀されたものとも伝えられている。なお、三宮神社に対する里宮は樹下神社である。(1)
雑記  境内が広いので、境内入口にある山王鳥居(写真2参照)の位置を基準にすると、最寄駅は京阪石山坂本線坂本比叡山口駅で、東へ西へ0.5km。山王鳥居から、西本宮は西北西へ0.3km余、東本宮は北北西へ0.2km余、奥宮は北西へ0.5km余・比高140mの所にある。

 京都駅を8:10の列車に乗り、9時前に坂本比叡山口駅についた。
 このとき、参拝者は、ほぼ私一人。

 日吉神社と書いて「ひよしじんじゃ」または「ひえじんじゃ」と読み方は一様ではない。何故かと、疑問に思ってきた。名称の変遷の経緯について、当社webのQ&Aには次の様に記されてゐる。
古くは「日枝」「比叡」と書き「ヒエ」呼ばれていましたが、平安時代頃より「エ」の文字を 縁起の良い「吉」に替えるようになり、「ヒヨシ」という訓みも生まれ両方の名称が使われました。 鎌倉時代以降は「日吉社」と表記するのが一般的となり、明治時代に至っては「日吉神社(ヒエジンジャ)」が公称となりました。 終戦後、社格制度の廃止でそれまでの「官幣大社」がなくなり全国各地の分霊社と混同してしまう恐れが生じ、また総本宮であることから「神社」を「大社」と改め、訓みもより親しみのある「ヒヨシ」としました。 今日に至るまで「日吉大社(ヒヨシタイシャ)」と公称しております。 全国三千八百社の分霊社は、「日枝」「日吉」「山王」「八王子」「樹下」やその土地の名前など様々な社号が使われています。 是非一度お近くの分霊社をお探しいただき、郷土史を紐解いてみてはいかがでしょうか。
「山王」については、別サイトで次の様に説明してゐる(2)
最澄が延暦寺を建立した後、日吉大社を地主神とし、比叡山と天台宗の守護神として崇敬した。山王権現と呼ばれたのは唐の天台宗総本山に祀られてゐた山王元弼真君にならったから、といふ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

一の鳥居

扁額は「日吉大社」、社号標には「山王総本宮 日吉大社」とある。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社頭

左手は比叡山延暦寺。社号標は「官幣大社 日吉神社」。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

曼荼羅(境内案内図)、鳥居脇にある。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

東本宮楼門

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

中央:東本宮拝殿 右:樹下神社拝殿 左:樹下神社本殿

なぜか、本宮と樹下神社の同線が直行してゐる。
小型重機が入っての工事中だった。

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

東本宮本殿

賽銭箱の位置は、本日、婚礼があるため移動させたとのこと。

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

西受付・八王子山・三宮

中央の丸い山が八王子山。頂上近くに三宮・牛尾宮が見える。

写真8
写真8 拡大 (1280×960)

大宮橋

西本宮への参道にある。手の込んだ頑丈そうな石橋。案内板には、構造の説明に続いて「天正年間(1573〜92)豊臣秀吉が寄進したと伝えられていますが、木橋が現在の石橋に掛替えられたのは、寛文九年(1669)のことです」とある。

写真9
写真9 拡大 (1280×960)

西本宮楼門

写真10
写真10 拡大 (1280×960)

西本宮本殿

写真11
写真11 拡大 (1280×960)

宇佐宮本殿

写真12
写真12 拡大 (1280×960)

白山姫神社本殿

写真13
写真13 拡大 (1280×960)

右:牛尾宮 左:三宮、八王子山山頂近くにある。

悩んだ。時間はかかるし、疲れでこのあとの行動に支障が生じるのではないかと。
結局、登る事にした、気軽に来られるのではないから。登りに約30分要した。その先は禁足地。往復して出会ったのはお一人だけ。

写真14
写真14 拡大 (1280×960)

中央:三宮 右の岩:金大巌

写真15
写真15 拡大 (1280×960)

中央:牛尾社 左の岩:金大巌

写真16
写真16 拡大 (1280×960)

眺め 霞んでゐて琵琶湖と空の境は判らない

御朱印 日吉大社
御朱印 拡大 (637×960)

日吉大社
御朱印 東本宮
御朱印 拡大 (659×960)

東本宮(東本宮社務所にて受領)
御朱印 西本宮
御朱印 拡大 (631×960)

西本宮
御朱印 三宮
御朱印 拡大 (639×960)

三宮
御朱印 牛尾宮
御朱印 拡大 (646×960)

牛尾宮

出典・脚注
  1. 令和3年7月5日閲覧 Wikipedia:日吉大社
  2. 令和3年7月5日閲覧 いろり 伝教大師最澄1200年魅力交流委員会 日吉大社と比叡山の歴史とは

改訂記録
  • 令和06.03.03 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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