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作成日 平成22年1月11日 |
追記日 ──────── |
よみ | よしだ じんじゃ |
京都市左京区吉田神楽岡町30番地(北緯35度01分31秒、東経135度47分05秒) | |
HP | http://www5.ocn.ne.jp/~yosida/ |
祭神 | 本宮 建御賀豆知命(たけみかづちのみこと)
伊波比主命(いはいぬしのみこと) 天之子八根命(あめのこやねのみこと) 比売神(ひめがみ) 末社 斎場所 大元宮 天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ) 天照皇大神 豊宇氣比売神 式内神三千百三十二座(全国の神) |
由緒 | 二十二社、官幣中社、別表神社。創建は、貞観元年(859年)
大元宮は、文明16年(西暦1484年)
藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。後に、平安京における藤原氏全体の氏神として 崇敬を受けるようになった。鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田氏)が神職を相伝するようになった。室町時代末期の文明年間 (1469年 - 1487年)には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として1484年、境内に末社・斎場所大元宮を建立した。 吉田家は全国の神社の神職の任免権などを持ち、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。(Wikpedia 吉田神社 より) |
参拝日 | 平成21年3月16日(日) |
雑記 | 銀閣寺に行ったあと、吉田神社を訪れた。
本地垂迹(ほんじすいじゃく、つまり仏が「主」で神が「従」という立場)、対する反本地垂迹(主流とならなかった) 説を確立した吉田兼倶の吉田神社。一体どんなところだろうと興味津々。 参拝する人がいない。有名観光地とは違うから、こんなものか、と自分を納得させる。八百万神を祀っているという大元宮 はどこ? と最終日で時間のない中、境内を歩き回った。あった、だが近寄れない。もののを************ |
平成21年3月16日撮影 | 平成21年3月16日撮影 |
平成21年3月16日撮影 |