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梨木神社(京都市上京区染殿町)

  
参拝日 令和2年10月30日(金)
作成日 令和3年4月3日(土)
改訂日 令和6年3月5日(火)
 
よみ  なしのき じんじゃ  
所在地  京都府上京区寺町通広小路上ル染殿町680番地  (35度1分30.08秒 135度46分2.44秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・Wikipedia:梨木神社
・当社 HP
祭神  三條実萬公(さんじょうさねつむ)
 三條実美公(さんじょうさねとみ)
由緒  元 別格官幣社、単立神社 

 境内の掲示には次の様にある。
萩の宮 梨木神社

ご祭神
 贈右大臣正一位     三條実萬公
 内大臣正一位大勲位侯爵 三条実美公

ご由緒
 実萬公は、当時「今天神」と人々から尊称され、才識兼備のお方であった。光格・仁孝・孝明三天皇に仕え、皇室の中興に尽し、王政復古の大義を唱えて、明治維新の原動力ともなられ、 安政の大獄の折、幕府より圧迫を受けて一乗寺村に幽居の後、五十八歳で薨去された。
 明治二年その功績を愛で、天皇より"忠成公"の諡を賜わり、同十八年十月旧邸の地名にちなみ、梨木神社として創祀せられるに至った。
 実美公は、父実萬公の遺志を継ぎ、朝威回復・攘夷決行の急進派少壮公卿の中心人物として活躍。しかし文久三年八月十八日の政変で頓挫し、同志の公卿と共に長州西国に赴かれ、難関辛苦を経て維新の大業を達成せられた。そして明治維新政府では、右大臣・太政大臣・内大臣等を歴任された明治の元勲である。
 公は明治二年東京へ遷都の際、御所廃止の論が起こるも、これに極力反対された。今日なお栄えて在る京都の大恩人である。のち大正四年大正天皇即位ご大典の折合祀せられた。

祭日
 四月十八日   春季例大祭
 九月第三日曜日 萩まつり
 十月十日    秋季例大祭

史跡
 染井の水
  京都三名水(醒ヶ井 県井 染井)の内、現存する唯一の名水。昔この地は「染殿」とも称され、宮中御用の染所としてこの井戸が用いられた。
≪萩の名所≫
 境内一円数百株の萩が繁殖。九月中可憐な花が咲き乱れ、参詣者の詩情を誘う。

 平成二十五年単立神社となった。
雑記  京都御苑の東に接してゐる。京阪電鉄神宮丸太町駅から北北西へ0.9km、出町柳駅から南西へ0.8kmのところにある。

 単立神社となったのは、社殿修復の資金難のなか、調達方法に神社本庁の承認を得られなかったため。確かに参道部分に集合住宅(所謂マンション)建設とは、抵抗感がある。60年の定期借地権で土地貸しといふ。
 参道脇を駐車場にしてゐる例は沢山あるが、参道は通れる。とは云へ、必要な資金額や他の手段の有効性にもよるから、私のやうな訳の解ってゐない者がとやかく云ふことではない。

 京都の町名は多い。少し歩くと町名が変る。調べたら、京都市街地の住所を表現する際、通り名1+通り名2+交差点からの方角+町名となってゐる。通り名が数字では無いのが京都らしいところだ。札幌だと北五条西八丁目といふ具合に数字だ。
 なお、同じ区内に同じ町名が複数有ると云ふから通り名を省ける場合と、省いては不都合な場合とあるらしい。ちなみに、中京区に亀屋町は五ヶ所あると云ふ。(1) (2)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

一の鳥居

鳥居の向うにあるのは、所謂マンション(三階建て)

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

二ノ鳥居

参道両脇には萩が茂ってゐる。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

手水舎にある染井。京都三名水の一つ。飲用可能で「宮中御用の染所の水として染井の水が用いられたといわれています」と云ふ。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

拝殿

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

本殿正面

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

本殿(斜め前)

御朱印
御朱印 拡大 (1280×960)


出典・脚注
  1. 令和3年3月23日閲覧 マイナビニュース京都府の住所表記のなぞ OFFICE-SANGA 2014-05-12
  2. 令和3年3月23日閲覧 ウィキペディア 京都市中京区の町名

改訂記録
  • 令和06.03.05 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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