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よみ
| うめのみや たいしゃ
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所在地
| 京都市右京区梅津フケノ川町30 (35度0分15.04秒 135度41分41.66秒)
地図:地理院地図(ズームレベル15)
いつもNAVI(ズームレベル13)
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地図
| 参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
・東西59km 南北55km
・+印:当社位置
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・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
・○印:本殿の位置
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HP等
| Wikipedia:梅宮大社
当社HP
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祭神
| 本殿 酒解神(さかとけのかみ)
大若子神(おおわくこのかみ/おおわくごのかみ)
小若子神(こわくこのかみ/こわくごのかみ)
酒解子神(さかとけこのかみ
相殿 嵯峨天皇
橘嘉智子(たちばなかちこ、檀林皇后・嵯峨天皇皇后)
仁明天皇 (にんみょうてんのう、嵯峨天皇皇子)
橘清友公 (橘嘉智子の父)
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由緒
| 旧官幣中社 式内社
京都市による境内(神門前)の掲示には次の様に記されてゐる。
梅宮大社 (うめのみやたいしゃ)
奈良時代の政治家であった橘諸兄(たちばなのもろえ)の母・縣犬養橘三千代(あがたのいぬかいのたちばなのみちよ)が、橘氏の氏神として現在の綴喜郡(つづきぐん)井手町付近に創建したのが始まりといわれる。平安時代の始め、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(たちばなのかちこ)(擅林(たんりん)皇后)によって現在の地に移された。
酒解神(さかどけのかみ)(大山祇神(おおやまずみのかみ))、大若子神(おおわくこのかみ)(瓊瓊杵尊(ににぎのみこと))、小若子神(こわくこのかみ)(彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))、酒解子神(さかとけこのかみ)(木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと))の四座を祭神とする。酒解神の御子・酒解子神は大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれたことから、歓喜して、狭名田(さなた)の稲をとっ て天甜酒(あめのうまざけ)を造り、これを飲んだという神話から、 古くから安産と造酒の神として有名である。
また、皇子に恵まれなかった擅林皇后が、本殿の横に鎮座する「またげ石」をまたいで子どもを授かったことから、この石をまたげば子宝に 恵まれると伝えられ、その下の白砂は安産のお守りとされている。
現在、本殿、拝殿、弊殿、廻廊、中門などがあるが、これらは元禄十三年(一七〇〇)の再建によるものである。
庭園は、杜若(かきつばた)や花菖蒲(はなしょうぶ)の名所として知られるほか、梅、八重桜、椿、つつじ、あじさいが美しい。
京都市
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旧官幣中社 式内社
京都市による境内(神門前)の掲示には次の様に記されてゐる。
梅宮大社 (うめのみやたいしゃ)
奈良時代の政治家であった橘諸兄(たちばなのもろえ)の母・縣犬養橘三千代(あがたのいぬかいのたちばなのみちよ)が、橘氏の氏神として現在の綴喜郡(つづきぐん)井手町付近に創建したのが始まりといわれる。平安時代の始め、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(たちばなのかちこ)(擅林(たんりん)皇后)によって現在の地に移された。
酒解神(さかどけのかみ)(大山祇神(おおやまずみのかみ))、大若子神(おおわくこのかみ)(瓊瓊杵尊(ににぎのみこと))、小若子神(こわくこのかみ)(彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))、酒解子神(さかとけこのかみ)(木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと))の四座を祭神とする。酒解神の御子・酒解子神は大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれたことから、歓喜して、狭名田(さなた)の稲をとっ て天甜酒(あめのうまざけ)を造り、これを飲んだという神話から、 古くから安産と造酒の神として有名である。
また、皇子に恵まれなかった擅林皇后が、本殿の横に鎮座する「またげ石」をまたいで子どもを授かったことから、この石をまたげば子宝に 恵まれると伝えられ、その下の白砂は安産のお守りとされている。
現在、本殿、拝殿、弊殿、廻廊、中門などがあるが、これらは元禄十三年(一七〇〇)の再建によるものである。
庭園は、杜若(かきつばた)や花菖蒲(はなしょうぶ)の名所として知られるほか、梅、八重桜、椿、つつじ、あじさいが美しい。
京都市
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雑記
| 阪急電鉄嵐山線松尾大社駅から東北東へ0.7kmの所にある。
境内には神苑があったが、季節柄、花の時期でも無く入ること無くあとにした。
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