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建勲神社(京都市北区紫野北舟岡町)

  
参拝日 令和2年12月11日(金)
作成日 令和3年7月25日(日)
改訂日 令和6年3月2日(土)
 
よみ  たけいさおじんじゃ / けんくんじんじゃ  
所在地 京都市北区紫野北舟岡町  (35度2分19.24秒 135度44分35.51秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  Wikipedia:建勲神社
 当社HP
祭神   織田信長公
  配祀 織田信忠卿
由緒  元 別表神社  元 別格官幣社
 当社HPには次の記載がある。
 建勲神社は、明治2年(1869)、明治天皇の御下命により創建された神社で、織田信長公をお祀りしています。
 明治8年(1875)に別格官幣社に列せられ、京都の船岡山に社地を賜りました。明治13年(1880)、新たに社殿を造営し、御嫡子織田信忠卿を配祀し、明治43年(1910)に山麓から山上へ社殿を移建し現在に至っています。

 境内に案内図が掲げられてゐて、次の文章が記されてゐる。
たけいさおじんじゃ
建勲神社 (通称けんくんじんじゃ) 御祭神 織田信長公
 織田信長公は戦国の世を統一して民衆を疲弊絶望から救い、伝統文化に躍動の美を与え、西洋を動かす力の源を追求して新秩序を確立し、日本の歴史を中世の混乱から近代の黎明へと導かれた。その為、信長公は行き詰った旧来の政治、社会秩序、腐敗した宗教等を果敢に打破し、日本国民全体の日本を追求された。
 明治天皇より特に建勲の神号を賜い、別格官幣社に列せられ、ここ船岡山に大生の神として奉斎されている。

    よしてるいなり
末社 義照稲荷社
 宇迦御霊大神(うかのみたまのおおかみ)、国床立大神(くにとこたちのおかみ)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の三柱の大神を祀り、古くより秦氏(はたし)の守護神として今日の西陣織の祖神をなしている。
 伏見稲荷大社命婦社は船岡山の霊狐を祀っており、伏見稲荷の元宮として古来よりの信仰が絶えません。

ふなおかやま
船岡山 (全山史跡、風致地区)
 船岡山は標高四十五米、周囲千三百米、面積二万五千坪の優美な小山であり、その東南側は建勲神社境内で特にうっそうとした森に被われている。豊臣秀吉の頃より信長公の霊地として自然がそのまま残され、京都盆地特有の樹相が良く保たれている。樹種が極めて多く、帰化植物がほとんど入りこんでいない京都市内で数少ない貴重な森とされている。
 船岡山は聖徳太子の文献にもその名がでており、又、京都に都が定められた時、北の起点となり、舩岡山の真南が大極殿、朱雀大路となった。平安朝の昔には清少納言が枕草子で「丘は船岡……」と讃え、又、大宮人の清遊の地として多くの和歌が残されている。
 船岡の若菜つみつつ君がため
  子の日の松の千代をおくらむ(清原元輔)
戦国時代の応仁の大乱の際、この松岡山が西軍の陣地となり、以来船岡山周辺一帯は西陣の名で呼ばれている。

 社頭の掲示には次の様に記されてゐる。
       たけいさおじんじゃ
別格官幣社 建勲神社 (通称けんくんじんじゃ)
御祭神 織田信長公(おだのぶなが)
御社殿 明治四十三年本殿拝殿以下社殿十棟すべて山頂へ移設。旧本殿、真の御柱跡には現在神石「大平和敬神」が建つ。
本殿社務所まで 八十メートル 石段約百段。
見どころ
(参拝自由)
一、拝殿に掲げられている信長公功臣肖像画(木下藤吉郎、柴田勝家、森蘭丸、平手政秀等十八功臣)
一、境内一帯は国の史跡、風致地区であり、桜、赤松、紅葉の木々に囲まれた社殿のたたずまいは、おごそかで別天地の感が深い。又、拝殿前から眺める比叡山、如意ヶ嶽(大文字山)、東山三十六峠はまさに絶景。

    よしてるいなり   みょうぶもとみや
末社 義照稲荷社及び命婦元宮
御祭神 宇迦御霊大神(うかのみたまのおおかみ)、国床立大神(くにとこたちのおかみ)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
命婦元宮は稲荷大神のご眷属(けんぞく)を祭り伏見稲荷大社の命婦社の親神という由緒あるお宮である。
このご眷属の神通力により稲荷大神のご利益(りやく)は、ますますあらたかとなる。
ご利益 商売繁昌、病魔退散、災難消除の不可思議なご利益により、古来より信仰が絶えない。

境内略図 (略)
雑記  京都市営地下鉄烏丸線鞍馬口駅から西へ1.9km、京都御所から北西へ3.0kmのところにある。

 8日からの京都旅行の最終日となった。京都駅のコインロッカーに荷を預けバスで当社へ向った。観光客は少ないとは云へ、朝の混雑や、バス停からの予想以上に時間が掛り、着いたのは9時40分くらいになってしまった。
 今日は、当社のほか、霊山護国神社参拝だけは決めてゐるが、土産や甘味処を取るか、鉄道博物館へ行く時間はあるのか、等決めかねてゐる。時間が出来たら訪れられる神社はあるのかも考慮に入れたい。
 結局、当社→霊山護国神社→鍵善良房(甘味処)→井筒八橋本舗→東寺餅(菓子司)→文子天満宮→京都駅、と動いた。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

大鳥居は、掲示によると「京都府下最大の「木造明神型白木造」で明治十二年に新築の後、昭和九年に全面的に建替えられ平成十二年に大改修が施された。(中略) 使用材は耐久性に優れる台湾阿里山産の紅檜である。(中略) 推定樹齢線千二百年以上」といふ。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

稲荷社への参道。本社への参道(東参道)は写真右手。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

「大平和敬神」の碑。旧本殿跡。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

拝殿

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿と神門・本殿

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

神門と本殿

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

稲荷社。正面に義照稲荷社、その左(山側)に命婦元宮がある。

御朱印
<御朱印 拡大 (1222×960)

見開きに押された大きな御朱印


出典・脚注

改訂記録
  • 令和06.03.02 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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