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石清水八幡宮 (京都府八幡市)

参拝日 令和2年10月28日(水)
作成日 令和3年3月13日(土)
改訂日 令和6年3月6日(水)
 
よみ  いわしみずはちまんぐう  
所在地  八幡市八幡高坊30
 (34度52分47.06秒 135度42分0.18秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.3km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 1.3 km、
印:本殿の位置
HP等 ・Wikipedia:石清水八幡宮
・当社HP
祭神
由緒  中御前 応神天皇
 西御前 比淘蜷_(*)
      多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)
      市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)
      多岐津比賣命(たぎつひめのみこと))
 東御前 神功皇后

  (*)玉依姫または仲姫命とする説もある
由 緒  別表神社、元官幣大社、勅祭社、
 創建 貞観2年(860) 
 例祭 9月15日(石清水祭)
雑記  京阪電車(京阪電気鉄道(株))の石清水八幡宮駅から南へ0.5kmにある。もっとも、男山山上にあるので比高120mを登らなければならない。

 初め、ケーブルカーを使って御本社参拝。御朱印をいただいた。その際、他三社の御朱印を用意されてゐる事が判った。御朱印を用意してゐる神社なら、参拝せずにこのまま帰っては心残りとなる。と云ふことで表参道を通って石清水社を参拝し、下まで降りて高良社では参拝と共に大きなタブノキを愛で、頓宮を通り、一の鳥居をくぐり、駅前に戻った。再度ケーブルカーで登ることにした。
 元々、コロナ禍で人出は少なかったやうだが、表参道はもっと少なく、途中出会ったのは二人だけだった。

 石清水八幡宮の由緒は、当社HPをはじめ、容易に知れるので、当文書には記さなくて良いと考へて略した。


 10月27日から30日に京都へ旅行してきた。そのなかで、殊に有名な石清水八幡宮・伏見稲荷大社・貴船神社ほか、都合9社を参拝してきた。武漢肺炎禍のためか、三泊と小田原-京都間の交通費が3万円程で安価で行けた。現地での交通費・食費はそれなりだが、また行かうと思はされた。加へてGOTO給付金を受けられたのは有難かった。
 雑踏の無い内に。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 一の鳥居
写真1 拡大 (1280×960)

一の鳥居

表参道は、一の鳥居をくぐったあと、頓宮、高良神社へと続く。

写真2 摂社 高良神社 社頭
写真2 拡大 (1280×960)

高良神社 社頭
社頭には札が立てられ、次の様に記されてゐる。
高良社(こうらしゃ)
石清水八幡宮の摂社で高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)を祀る。
豊前国(現大分県)宇佐八幡宮より八幡大神を勧請した行教和尚(ぎょうきょうわじょう)が、貞観二年(860)六月十五日に社殿を建立したと伝えられ、吉田兼好の『徒然草』にもその名が見える。
往時は頓宮・極楽寺と共に荘厳を極めていたが、慶応四年(1868)戊辰戦争の兵火に罹り焼失、現在の社殿は明治十七年(1884)に再建されたもので、一間社入母屋造檜皮葺である。
また、高良社は八幡の産土神として崇敬も篤く、毎年七月十七・十八の例祭日には「ヨッサーヨッサー」の勇壮な掛け声中、市内各区より太鼓神輿が担出され賑わう。


写真3 高良神社 御本殿
写真3 拡大 (1280×960)

高良神社 御本殿

写真4 摂社 石清水神社
写真4 拡大 (1280×960)

摂社 石清水神社

京都府設置の掲示がある。文は次の様。(横書き)
 石清水八幡宮は、もと男山山中から湧き出る清泉を神として祀ったのが起こりと伝え、平安時代の貞観年間(859〜876)に奈良大安寺の僧行教が神託により宇佐八幡神ヲ勧請し、石清水八幡宮と称したことに始ります。
 石清水社は、石清水八幡宮の摂社の一つで、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)を祀っています。現在も岩間から清水が湧き出しており、社前の鳥居は寛永12年(1636)京都所司代板倉重宗が寄進したものです。
京都府



写真5
写真5 拡大 (1280×960)

写真6 三の鳥居
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三の鳥居

ここから約250m先に社殿がある。

写真7 御本社
写真7 拡大 (1280×960)

御本社

写真8 男山展望台からの展望
写真8 拡大 (1280×960)

男山展望台からの展望

手前の方には木津川に架かる京阪電鉄の赤い鉄橋があり、遠く京都タワー(北北東へ13km)も見えた。

御朱印 御本社
御朱印
 拡大 (約470×640)

御本社

御朱印 石清水神社
御朱印
 拡大 (約470×640)

石清水神社

御朱印と共に戴いた文には

「霊永と称される石清水丼から石清水が常に湧出しており、(中略)現在でも毎月の祭典においては霊水の献供が行われている。御朱印に記されている霊泉と書かれた瓢箪の中は、松花堂昭乗の使用した印をもとに意匠している」

とある。

御朱印 高良神社
御朱印
 拡大 (約470×640)

高良神社

御朱印 武内社
御朱印
 拡大 (約470×640)

武内社(たけうちしゃ)

御朱印と共に戴いた文には

「石清水八幡官の摂社で式内宿禰命を祀る。御本殿瑞籬(みずがき)内の北西に鎮座しており、宇佐八幡宦より八幡大神が勧請された年と同じ貞観二年(八六〇)の創建と伝えられる。(中略)御朱印に記されている熊笹は、武内宿禰命の御神紋である熊笹紋をもとに意匠している」

とある。


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.03.06 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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