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生國魂神社(大阪府大阪市天王寺区)

作成日 平成23年6月26日
追記日 ────────
よみ  いくくにたま じんじゃ
所在地  大阪市天王寺区生玉町13-9(北緯34度39分54秒、東経135度30分45秒)
HP  ─
祭神 生島大神 足島大神 大物主大神
由緒  式内社、官幣大社。別表神社。
 参拝時に頂いた「難波大社 生國魂神社略記」から抜粋すると、
生國魂神社(生魂(いくたま)さん   旧官幣大社

御祭神
 (略)
御由緒
社伝によれば、神武天皇が九州より難波津にお着きになった際、現在の大阪城付近(のちの石山崎)に、 生島大神・足島大神を祀られたのが当社の創祀と伝えられています。そののち、神として大物主大神をお祀り されています。
当社についての初見は、「日本書紀」孝徳天皇(七世紀中頃)に「生國魂社」と記されており、平安時代の 『延喜式』には、「浪速坐生國咲國魂神社」二座と記され、御祭神は特別に生島巫(いくしまのみかんなぎ) によって祀られるなど、国家の祭祀(八十島祭)の社として知られています。
中世では当社に隣接して石山本願寺」が建てられ、そして天正十一年(1583)に豊臣秀吉公が大阪城築城のため、 社領を寄進し社殿を造営し、同十三年(1585)に原罪の鎮座値に遷されたと伝えられています。
そののちも豊臣・徳川と時代の変遷はありましたが。、両家の保護の基に神域は守られ、以来「難波大社」の尊称をもって 広く朝野の信仰を集め、明治には官幣大社に列せられるなど、国土の守護神・大坂の総鎮守として人々に崇敬されています。
御社殿
(中略)社殿は明治四十五年の「南の大火」、昭和二十年の戦災による焼失、同二十五年の「ジェーン台風」により 総檜素木造の御本殿が倒壊し、原罪の社殿は昭和三十一年に鉄筋コンクリート造で建てられたものです。

(中略)

境内社
(中略)
「女性の守護神」鴫野神社(巳(みい)さん)
淀君ゆかりの神社である。大阪ビジネスパーク(OBP)の辺りはかつて「弁天島」と呼ばれていた。 その一画に弁天社「鴫野の弁天さん」が祀られてあり、弁天社はその昔、大阪城の淀君の崇敬がことのほか篤く、 後には弁天社の隣に「淀姫社」として祀られるようになった。そして女性の守護神として心願成就、縁結びから 悪縁切りまで霊験あらたかとの評判を呼び、毎月「巳の日」を縁日としてお参りする人が群れをなしたと伝えら れている。俗に「巳さん」と呼ばれた由縁である。その後、弁天島用地買収に伴い大阪城に縁の深い当社に移され、 鴫野神社として祀られている。今日も「心願成就の絵馬」が奉納され、女性の篤い信仰が続いている。

以下略
参拝日  平成22年9月6日(月)
雑記  大阪へは仕事で何回も訪れてゐたが、新大阪駅から目的地へ直行で町中の様子はいっこうに不案内である。
 この日は、二時間ほど早く家を出てやってきた。境内には、トラックが何台も停り、片付けものをしてゐる。 おや、昨日は例祭だったか? といぶかしく思ひつつ御朱印を頂いたところ、「彦八まつり」といって落語家の 文化祭・ファン感謝デーが昨日まで行われてゐたとのこと。パンフレットを頂いてしまった。


平成22年9月6日撮影

鴫野神社
平成22年9月6日撮影

境内社 鴫野神社
平成22年9月6日撮影


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