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玉造稲荷神社(大阪府大阪市中央区玉造)

作成日 平成27年4月28日
よみ  たまつくりいなりじんじゃ
参拝日  平成25年10月27日(日)
所在地  大阪市中央区玉造2−3−8 (北緯34度40分40.7秒  東経135度31分47.9秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  大阪府神社庁 玉造稲荷神社 玉造稲荷神社 Wikpedia
祭神  
由緒   社頭の案内石碑より(縦書き)
玉造稲荷神社 御由緒

主神 宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)
相殿 下照姫命(したてるひめのみこと) 月読命(つきよみのみこと)
   稚日女命(わかひるめのみこと) 軻遇突智命(かぐつちのみこと)

創祀は垂仁天皇十八年秋(紀元前十二年)とされ、古代には「日本書紀」に記された玉作部の居住地にもなりました。 その後、物部氏と仏教受容問題で争った聖徳太子(廐戸皇子)は、当神社において戦勝を祈り、戦乱後は自ら観音堂を当地へ 建立されたと伝わっています。一方、近世に至っては豊臣家が大坂城の鎮守神として祀り、その後、徳川の世に入っても 大坂城代着任の際、当神社に参拝し定紋の提灯を奉納する等その厚い信仰は引き継がれました。明治期から戦前にかけて、 全国の神社が国家管理となり、社格も当神社は「府社」となりました。
平成元年(西暦1989年)には「創祀二千年祭」を挙行しました。

豊臣秀頼公奉納鳥居案内板より(横書き)
豊臣秀頼公[慶長8年(1603)3月吉日銘]奉納鳥居 大坂夏の陣、慶長20年(1615)また第二次世界大戦、昭和20年(1945)6月1日と二つの戦禍を乗り越えて参りましたこの鳥居は 平成7年(1995)1月17日早朝の阪神・淡路大震災により基礎に損傷を生じ、建立以来400年間「大坂城の鎮守神」として、 その歴史的シンボルに幕を閉じここに保存することとなりました。

(徳川・大坂城鎮守神時代の鳥居位置図 略 )
雑記  「古代には玉作岡とて玉作部に所属する曲玉作りの集団居住地であった」といふことで想像できないほどの歴史があるやうだ。 鵲森宮といひ、関東とはちょっと違ふ。豊臣時代には大坂城の三の丸があったところらしい。


平成25年10月27日撮影

平成25年10月27日撮影

平成25年10月27日撮影

平成25年10月27日撮影 嚴島神社

平成25年10月27日撮影 万慶(まんけい)稲荷神社、新山(しんやま)稲荷神社

平成25年10月27日撮影 豊臣秀頼公胞衣塚(よなづか)大明神

平成25年10月27日撮影 豊臣秀頼公奉納鳥居


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