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三朝神社(鳥取県三朝町三朝)

作成日 平成30年1月6日
よみ  みささじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年6月9日(金)
所在地  三朝町三朝796 (北緯35度24分30.91秒 東経133度53分42.71秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  
祭神  大己貴命(大国主神)
 素盞嗚命
 誉田別命(応神天皇)
 大山祇命
 武内宿禰
由緒  境内の掲示には次のやうに記されてゐる。
三朝神社の由緒

 この神社は、もと三部落(湯村・外谷村・砂原村)の神社を合併したもので、従って、祭神の数も多い。大己貴命(大国主神)・素盞嗚命・誉田別命(応神天皇)・大山祇命・武内宿禰などの神々である。
 もとの三朝部落の神社は、温泉発見の大久保左馬之祐が篤く崇拝したという言われから大久保大明神と、砂原部落の神社は妙見山正八幡宮と称していた。外谷神社は荒神様(素盞嗚命)だったが、今この神は、末社に祀られている。
 鳥居をくぐって直ぐ左側の手水所は、常にラジウム温泉が流れ出ている。
三朝温泉ならではの施設である。
 『鳥取県神社誌』(1)には次のやうに載ってゐる。
由緒 大正十年十二月五日三朝村大字三朝字森崎鎮座村社湯村神社祭神大己貴命(当社は源義朝の旗下大久保左馬之祐の崇敬の神にして深き縁故を有す、爾来大久保大明神と称し来たりしが維新の際湯村神社と改称す、三朝区の氏神たり)同神社境内末社無格社外谷神社祭神素盞嗚命(当社は牛頭天王と称し外谷区の氏神たりしが維新の際廃社となりしも明治十年十二月願済の上復旧し湯村神社境内に遷し境内末社として崇敬せり)同村大字砂原字宮ノ上鎮座村社砂原神社祭神誉田別命大山祇命(当社は妙見山正八幡宮と称し砂原村妙美井山の山頂に鎮座せられしが宝永二年四月十五日故ありて字宮ノ上に遷し奉れり 当社は天領三反歩の御免地を賜はりしと、文化三年以前は毎年六月十四日より三日間河村、久米、八橋の三郡武運長久五穀成就郡内安全の祈願を奉祀し、祈願神札は郡内全部に配布せり、此時使用の配札箱には妙見山正八幡宮と記し其下に寺社役所の焼板を押したる懸板を下されたるを建て配札せりと、其懸板現存せり、文化四年七月より河村、久米二郡は尚一層の崇敬厚かりき、元和六年九月には神田高二石時の寺社役梶田清右衛門より寄す、證書現存せり)右三神社を合併し三朝神社と改称す。
以上三神社は創立年月不詳なりと雖正治元年時の奉祀神主大坂林竹の調書ありて其の以前の神社たるや明かなり、大正十三年十月十七日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
雑記  山陰線倉吉駅から南東へ6.5km、バスで20分の所にある。

 ツアーは、三朝温泉に宿泊。夜は蛍が飛ぶのを見て楽しんだ。
 朝、三日目、晴天。六時過ぎに出て当社三朝神社と温泉の起源といふ株湯を訪れた。

 社殿の屋根は平成17年に葺替が行はれてゐる。明和二年(1765)の灯籠(火袋部分は無くなってゐる)があった。
 当社から東南東へ0.3kmの所に「三朝町指定旧跡 株湯」があり、次の掲示がある。
株湯の起源

 旧記によれば、長寛二年(1164年)源義朝の家臣 大久保左馬之祐は、主家再興祈願のため三徳山参拝の途中、妙見山の神の使いである白狼に出会いその難を救ったことにより妙見大菩薩はその仁心を感じられて、霊夢により「汝、慈愛の心深きこと神慮に叶いぬれば済生のたよりを示すなり。即ち老楠の株根に霊湯あり、之を汝に授く、汝よろしく之をうがち諸人の病苦を救え」と告げられ、この不思議に驚いてたちまち目が醒めた。
 明けて長寛二年四月八日大久保左馬之祐はその教えを守り現地に行きつぶさに調査してみると神託に違わず温泉がこんこんと湧出していた。
 これが三朝温泉の起源にして株湯の名称のゆえんとなる。

 以来840数年、神の御恵は世界屈指のラジウム温泉として三朝人のみならずこの地を訪れる多くの人達の心と身体を癒してきました。三朝の村人は、この温泉の恩恵に感謝して毎年五月四日に花湯祭りを行っており、祭りの最大行事「陣所(ジンジョ)大綱引き」は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 三朝温泉の類い希なる効能は、白狼の伝説とともに、これからも永く多くの人々に幸せを与え続けることだろう。
  平成二十二年四月
三朝区長
 なお、掲示の同じ建物に「調査済宅地」と大書された紙が貼られてゐる。鳥取県中部地震が平成28年10月21日に発生し、三朝町では震度5強を記録している(倉吉市ほかでは震度6弱)。
 良く見ると「被災宅地危険度判定結果」「この宅地の被災度は小さいと考えられます」「判定日時 平成28年10月26日午前」と記載されてゐる。二次災害を防ぐ良い活動には違いないが、何故か判定結果の文字は小さい。理由があるのだらう。「小被害」とでも表示するので良いだらうに。前日夜に「要注意宅地」の表示を見かけたので違ひは判るが。
 小生はいままで被災宅地危険度判定に縁が無く、初めて目にしたので、記憶に留めるため記載した。

 ラドンをありがたがる人がゐるやうなのだが、私は何とも思はない。長期間高濃度で晒されると有害なのは明確なので、どの程度の濃度なのか調べてみた。
(1)三朝温泉地区の屋内のラドン平均濃度は、全国の約3倍(54Bq/m3)であり、1時間当たり約0.15マイクロ・シーベルト(1.2ミリ・シーベルト/年)の放射線量に相当します。とのこと。http://www.iwayu.jp/about-radiation/
(2)三朝温泉水のラドン濃度は9400Bq/リットル。温泉法によれば111Bq/kg 以上で放射能泉と規定。
(3)WHOの飲料水基準は258.9Bq以下。
(4)思ふに、旅行者は、温泉に毎日何時間も入る訳ではないから、何らかの影響があるのか判らないレベルなんだろう。100ミリシーベルト/年で発癌率が上がるのが判る程度の被爆とされてゐゐる。これは、空気中4500Bq/m3 が100ミリシーベルトに相当するが、ラドンは特に肺に作用するので、ここからは小生の推測となるが、10分の一の450Bq/m3 をめやすとしても、室内空気は100分の一。浴室のラドン濃度は不明だが仮に屋内の100倍としても浴室に住む訳ではないから、発癌率の上昇が検出出来るほどの影響はないだらう。(根拠を明示してゐないながら、「三朝温泉のある浴室内の放射能は、1 m3当たり200〜8000ベクレル」との記載もある ここ
(5)ホルミシス効果があるとの説がある。三朝温泉の住民の肺がんは少なめとの調査結果があるといふ。
(6)依つて、心配する必要は無く、気持の持ちようか。(原発の放射能は有害で、自然環境の放射能は問題ないといふ説は気の持ちようではなく単なる無知。核種の違ひを言ふなら意味はある)
(7)参考にした文書:「放射能泉と健康」(一般財団法人 高度情報科学技術研究機構)

写真




御本殿

境内社(外谷神社と思はれる)

手水鉢、湯気が立つてゐる、少し熱かった。
株湯1号2号混合泉、成分分析表と飲用時の注意事項が記されてゐる。
温度45.6℃。

株湯(三朝温泉の起源)

脚注
  1. 『鳥取県神社誌』鳥取県神職会編 昭和10年(1935)刊 p.291〜293 村社 三朝神社 (漢字は現在当用の字体に置換へた)


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