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山内神社(愛媛県松山市南江戸)

作成日 平成25年1月14日
追記日 ────────
よみ  やまうちじんじゃ
所在地  松山市南江戸5-1506 (北緯33度50分31.3秒  東経132度44分35.4秒)
  国土地理院ウオッちず  いつもNAVI
HP  朝日八幡神社web内 山内神社
祭神  厳敏鎌輪瓊命(山内与右衛門久元公ノ霊) 
由緒  境内に石碑があり、次のやうにある。
山内神社 縁起  元神官 田内盛茂謹識
 当社は旧松山藩士山内與衛門久元君の御霊をお祀りしてあります 君は土佐の国主山内公の支族です 稟性は 謹厳実直で特に藩政に心を注ぎ累進し三十二才にて目付役を仰せつけられ程の英才でした
 時に享保の大飢饉あり餓死者三千数百を数う惨状となり主命で江戸より差遣わされた君は領内隈なく踏査し その対策と窮民救済を上申いたしました
 その頃悪家老達は城主江戸詰を好機と悪臣供を集い主家を顛覆し自己の権威を恣にせんと盲動、藩主定英公 は心労重なって急逝しました 純忠至誠の君は力を尽して主家並に領民の安泰を図りましたが奸臣達は君を不 実不忠と讒言し藩主が幕命で蟄居謹慎後急逝の因は君にありと冤罪を被せ主命なりと強て割腹させました 然し 乍ら君主家を懐う深き忠魂は魂魄となり縷々奇瑞を顕し主君の危難を救いました
 後文化十一年時の藩主定通公その忠義を誉め当社を建立神霊を厳敏鎌輪瓊命としてお祀りしました 爾来 毎年四月二十三日除難の神として大祭があります
平成二年十二月戦災焼失後再建時建之  崎山景章 撰文
篠原茂次郎謹書
参拝日  平成24年7月1日(日)
雑記  今回の神社廻りの二社目。松山駅からは西へ700mの所にある。朝日八幡神社 に隣接してゐて行き来できるがそうとは知らず、階段下の鳥居まで戻り、当社に来た。
 事前の調べでは御朱印の掲載されてゐるweb頁があったので、いただけるかと思ってゐたが社務所がなく御朱印はいただ けなかった。
 享保の飢饉時の伊予の人口は三十万人足らずという。文化十一年(1814)は死後81年になる。土佐の藩主山内一豊の弟の子 (甥)が山内久忠公で、その曾孫にあたるといふ。
 狛犬の台座には天保十五年とある。神社建立後30年、天保の飢饉があった後になる。
 拝殿には山内神社とともに「木野山神社」の額が掲げられてゐる。


平成24年7月1日撮影

平成24年7月1日撮影  社殿左後方の階段は朝日八幡神社へとつながってゐる

平成24年7月1日撮影


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