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阿沼美神社(愛媛県松山市味酒町)

作成日 平成25年1月19日
よみ  あぬみじんじゃ
所在地  松山市味酒町3丁目1−1 (北緯33度50分46.5秒  東経132度45分22.9秒)
  国土地理院ウオッちず  いつもNAVI
HP  愛媛県神社庁 阿沼美神社  Wikipedia
祭神  味耳命(うましみみのみこと)
 大山積命(おほやまつみのみこと)
由緒  頂いた由緒書
延喜式内明神大社 阿沼美神社由緒
 創立不詳成れども社伝によれば、久米氏が、この地方を領するに当り守護を願い、古名阿沼山(勝山)と称せし山峰 (現在の松山城地)に祖神を降臨せしめたもので、其の後天智天皇三年(664)伊予の国司越智守興の創建とも云う。往古は、 阿沼美三嶋大明神・勝山三島大明神とも称えられていた。
 祭神は味耳命(ウマシミミ)を祖神とする久米氏の氏神で、邇邇藝尊の天孫降臨に際し、警衛の任に当った天津久米命(天 くし津大来目)、神武天皇の東遷に随い、三輪で皇后との中執りもちをした大久米命を始め、久米直・久米部小盾は末にあたる。 なお、伊予の国司であった越智氏とは特に神縁深い神社でもあり、土徳大山積命・高○神(タカオカミ)・雷神、社家の伝える 所によれば、面足神(オモダル)・惶根神(カシコネ)、伊予の国造で神武天皇の皇子の神八井耳尊(カムヤイミミ)をも合祀 し、社格は、「延喜式神名帳」に記載されている温泉郡四座の内の明神大社である。
 慶長七年(1602)加藤嘉明が、松前から勝山の地に築城の際、伊予国温泉郡味酒の郷(現在地)に移遷し、味酒神社とも 呼ばれていた。
 藩政時代は、一藩崇敬社として松平定行以下歴代藩主の厚い崇敬を受け、社禄・御供料等の寄進が続き、慶安三年(1650) には社殿が再建されている。
 尚、官命により明治三年(1870)延喜式内明神大阿沼美神社と元の名に復し、明治五年(1872)県社に列せられている。この 地方の総鎮守としてそれぞれの時代の統治者の尊崇を受ける。
 又、延喜式内明神大社に列せられての一千年祭紀念碑は、松山藩主菅原勝成(久松氏)の揮毫によるものである。境内社に 稲荷神社・伊予(余)夷子神社・金比羅神社・味酒天満宮・(護穀神社)・勝山八幡神社(松山八社八幡で八番目の社)がある。
松山市味酒町三丁目一ノ一鎮座
参拝日  平成24年7月1日(日)
雑記  伊予鉄道古町(こまち)駅の南東100m、JR松山駅からは北北東800m程、松山城からは西へ800mの 所にある。
 阿沼美は、阿治美だったとする説もありアジミは熱水で温泉の事とする解釈もあるらしい。
 論社であり、平田町にも阿沼美神社がある。天保四年(1833)に境内から「阿沼美宮」の石額が見つかり、翌年、吉田家の裁許を 受けて三島新宮社から「阿沼美神社」と改称したといふ。
 授与所には、祭りの神輿にまつわるトラブル(亡くなられた方がゐた)とその後の合意事項違反のため、神社は大人神輿の祭事 (宮出し・宮入り・神輿渡御等)に一切協力できなくなったとの掲示があった。平成十九年の日付があった。 神輿は神社の所有してゐるものと思ってゐたが、違ふやうだ。今は公園で担がれてゐるといふが、神とは無関係といふことか?


平成24年7月1日撮影

平成24年7月1日撮影

平成24年7月1日撮影 左側に稲荷神社、右側は手前から 伊予夷子神社、勝山八幡神社、味酒天満宮、金比羅神社が並んでゐる

平成24年7月1日撮影 勝山八幡神社


・味酒町:みさけまち


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