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愛媛県護国神社(愛媛県松山市)

作成日 平成25年5月15日
よみ  えひめけん ごこくじんじゃ
所在地  松山市御幸1-476 (北緯33度51分14.7秒  東経132度46分25.9秒)
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HP  愛媛県護国神社 HP  wikipedia
祭神  由緒参照
由緒  別表神社。境内の掲示には次のやうにある。
愛媛県護国神社御由緒(略)
一、鎮座地 松山市御幸1-476番地
二、御由緒
 当神社は、明治三十二年(1899)県内188名の有志により、私祭招魂社として当時官有地(温泉郡持田町現東警察署地)に建立、 同年三月戊辰の役、西南の役、竹橋事件、台湾守備、日清戦争等における郷土出身戦没者484柱の御英霊を御奉斎申上げたに始まる。
 その後大正二年(1913)同地に愛媛県立農業学校を建設することとなり多賀神社(松山市新立町)にお遷し、昭和十四年(1939) 現在地に御遷座 愛媛縣護國神社として御奉斎された。
 御祭神は右記の他、日露戦争を経て、大東亜戦争に至るまでの事変、戦争において護國の重任に当り、遂にその尊い生命を捧げられた 愛媛県出身の戦没者の御英霊を奉斎し、その後社会公共のために尽して県民に恩恵をもたらされた先賢諸士、即ち松山城を築城された加藤 嘉明命、宇和島今治城主藤堂高虎命、松山初代藩主久松定行命、宇和島初代藩主伊達秀宗命、その他藩主及び公共事業に功績のあった 足立重信命、又建武中興(1334)より明治維新(1868)に至るまでの国事に殉じて御贈位になった方々、産業功労者としては義農作兵衛命、 下見吉十郎命、鍵谷カナ命、文化人として尾藤二洲命、近藤篤山命、矢野玄道命、正岡子規命等を合祀、さらに軍属、女子学徒、看護婦、 電話交換手、報国隊、義勇隊、富山丸、東予丸犠牲者、警察官、消防団、自衛隊等の公務殉職者を併せて御祭神は49723柱を御奉斎申して あります。
三、御祭神柱の内訳
戊辰の役     13(陸軍)    38481学徒挺身隊  31
西南の役     70(海軍)    10496自衛隊    29
竹橋事件      1 計      48976消防団員   63
日清戦争     352          看護婦    11
台湾守備     48社会文化功労者  67交換手    15
日露戦争    2813軍属       34公務員     2
第一次世界大戦  109報国隊     124計      744
満州上海事変   61義勇隊     311  
大東亜戦争
(含支那事変) 45510
警察官     59合計    49723

四、大祭その他の祭儀
 春期慰霊大祭 四月九、十日
 秋期慰霊大祭 十月九、十日
(霊璽奉安祭)
  他 各種祈願祭 奉仕
参拝日  平成24年7月1日(日)
雑記  護国神社を訪れたのは初めてだった。靖国神社とは雰囲気は違ふ。御朱印をいただいたときに、拝殿の写真を撮って よいか聞いたところ、良いとのこと。平安神宮では、向拝から鳥居方向の写真を撮らうとして制止を受けたことを思ひ出してゐた。
 本殿の左の方には数多くの慰霊碑があると案内図で知れたが、他の神社へも行きたい。碑文を読んでゐたら何時間かかるかわからないし、 と屁理屈をつけて松山神社へ向ふことにした。


平成24年7月1日撮影

平成24年7月1日撮影

平成24年7月1日撮影 正面に掲げられているのは、高松宮宣仁親王が揮毫した「護國」の扁額(昭和28年参拝時に奉納)がある


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