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伊佐爾波神社(愛媛県松山市桜谷町)

作成日 平成25年5月27日
よみ  いさにわじんじゃ
所在地  松山市桜谷町173番 (北緯33度51分2.6秒  東経132度47分20.4秒)
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HP  伊佐爾波神社 HP  wikipedia
祭神  神功皇后(じんぐうこうごう)
 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
 応神天皇(おうじんてんのう)
 三柱姫大神(みはしらのひめおおかみ)
由緒  式内社、県社。社殿は寛文四年(1664)に竣工し、重要文化財に指定されてゐる。
 教育委員会による掲示がある。
伊佐爾波神社
 延喜式内社で、祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神である。社伝によると仲哀天皇、神功皇后が 道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれていたという。
 伊佐爾波という社名の起源は諸説あるが、『古事記』に「建内宿禰大臣沙庭に居て、神の命を請ひまつりき。是に 大后、歸神して…」、『日本書紀』に「建内宿禰に命せて琴撫かしめ、中臣烏賊津使主を喚して審神者(さには)と為す」 とあり、これに神聖、清浄なという意味の「い(斎)」が付いたもので、神功皇后に関わる名称ともされる。
 当神社は、河野氏が湯築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後、加藤嘉明が、松山城の固めとして 八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所となったという。
 現在の社殿は、松山藩松平第三代藩主の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功させたお礼として建立したもので、 その様式は、大分県の宇佐神宮、京都の石清水八幡と並んで日本を代表する八幡造といわれる。
松山市教育委員会
参拝日  平成24年7月1(日)
雑記  松山神社の宮司さんが、農作業の都合があって一月遅れで夏越祭をするところがあると話してくれた のだが、正に、当社がそれだった。楼門前には 七月三十日 夏越(輪越)祭 とある。
 御朱印をお願ひすると宮司さんは、上手ではないので、とおっしゃりながら社名は筆記ではなく印を押された。そのときは 下手な字でも構はないのに、と思ったが、字画の多い文字があるのでなるほどと、思ひ直してゐる。
 鎮座地へは、伊予鉄道道後温泉駅から西へまっすぐ参道が延びてゐる、社殿までは約400メートル。30メートル上る。参道上からは、 駅引込線上の車両が見られる。
 22枚の算額があるといふ。


平成24年7月1撮影

平成24年7月1撮影

平成24年7月1撮影 楼門

平成24年7月1撮影 本殿

平成24年7月1撮影 扁額には緑地に金色で湯月八幡宮とある

平成24年7月1撮影

 


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