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浅間神社(神奈川県小田原市矢作)

作成日 平成26年8月10日
よみ  せんげんじんじゃ
参拝日  平成26年7月6日(日)
所在地  小田原市矢作325 (北緯35.28911 東経139.17763)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 浅間神社
祭神  木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
由緒  拝殿内に次の書面(縦書)が掲げられてゐた。
矢作淺間神社の由来
石一顆をご神体とす富峯より飛来せしものと伝ふ祭礼六月十五日矢作及び中里村の鎮守なり増福院持(現亀興院)増福院は石宝山淺間寺と号し 小田原大工町蓮上院末寺なり(相模風土記) 祭神として天孫瓊々杵尊の妃木花咲耶姫命を祀る神社創立は極めて古く一説には元仁元年(700余年前) とも云われている 明治四十一年七月御料地(風致保安林)払い下げ願いを提出し帝室林野管理局長官の名を以て許可があり参道両側社殿周圍の 植林地は神社の所有となった反別一反五畝八歩払い下げ代土地立木併せて七十二円であった 明治四十四年十二月當時村内にあった八幡神社(矢作 バス停前)日枝神社(ふじでん南)菅原神社何れも無各社と當淺間神社に合祀する三社は皆所有財産がなく維持困難な為であったと云う
神社は往時石神に一反一畝十四歩 福寿に二畝十五歩上の久保に六畝二十三歩の田畑を所有し耕作者より年貢米を受けていたが昭和二十一年 自作農創設を目的とする農地改革に依って没収され現在神社の所有する地は矢作会館消防器具置場精米所の敷地二畝十五歩のみとなった
 社殿関係その他
大正八年 神社奧殿を造る
大正九年 御大典記念事業として本殿以外の大改築を行う
大正十二年 中宮及び拝殿の修理
大正十二年 関東大震災のため社殿損傷を受く 鳥居倒伏
昭和三年 鳥居を再建する 工費二百六十二円
昭和六年 御輿堂及び狛犬一対を在米星崎定五郎草柳竹次郎両氏帰朝記念として寄贈さる
昭和九年 旧鳥居を利用して社標を設立
昭和二二年 神璽を安置する
昭和三九年 颱風に依る塩害を受け枯死の色を見せ始めた境内南半分の杉を伐採し売却代金四十二万五千円
昭和四0年 氏子一同の寄附に依り水屋を新設工費十万八千円
昭和四一年 参道両側及び亀興院境内に桜苗五十本を植樹
昭和四三年 境内北半分の杉も伐採し売却するこの代金八十万円を矢作会館改築費に貸す
昭和五一年 氏子の寄附を仰ぎ社殿屋根替え工事を行う古いとたん屋根が銅板葺きに代り社殿は一段と森嚴さを加う
      工費六百三万一千八百二十一円
昭和五三年 社殿濡れ縁改造 工費 十七万六百円
昭和五三年 賽銭箱新調 代金十万円
       昭和五十一年三月工事完了に際して  一男記
雑記  御殿場線下曽我駅から南南西へ1.7km、東海道線鴨宮駅から北へ1.4kmのところにある。


平成26年7月6日撮影

平成26年7月6日撮影

平成26年7月6日撮影

平成26年7月6日撮影 鳥居の笠木を使った社号標

・明治期の定義によると 0.01町=0.1反=1畝=30歩=99.1m2≒1アール
  歩(耕地・林野の面積)=坪(家屋・敷地の面積) 
・小田原市図書館では昭和34年に『移民の先駆者 星ア定五郎』(小田原市webへ)を刊行してゐる。


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