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延出神社 (北海道〈日高〉新ひだか町三石豊岡)

参拝日 令和元年8月7日(水)
作成日 令和2年9月19日(土)
追記日 令和6年3月17日(日)
よみ  のぶしゅつ じんじゃ  
所在地 〈日高管内〉新ひだか町三石豊岡211 (42度16分49.73秒 142度36分20.21秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 延出神社
祭神  天照大神(あまてらすおおかみ)
 八幡大神(はちまんおおかみ)
 境内に設置の神名を刻んだ碑には、上記に、武内宿禰命・息長足命を加へ、四柱となってゐる。
由緒  元村社
 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 明治十九年に幌毛方面に移住した土居万太郎外七名が当時御神札を携行し、これを奉斎していたが、入地者の増加に伴い神社信仰の緊急なるを知り、これ等の人等と計って明治三十三年一度帰国し、淡路国阿萬(あま)村の神官前川安蔵と協議し同村の氏神亀岡八幡神社の御分霊を幌毛村の中央清浄地に奉遷した。同じ頃下辺訪(へぼう)に入地した木田伊勢吉・木田常夫等も淡路より天照大神の御分霊を奉戴し来て辺訪に社を造り奉斎していた。しかしいずれも大正時代となって改築が必要となったので両者協議し六年九月両地区の中央の地に合併社殿を新築し移転した。それから後、これを両村の神社として奉斎、その横には稲荷の小祠が併せ建立された。幌毛旧地が今でも「八幡の蛇篭」と呼ばれている。

 社前の祭神を記した碑の背面には、次の様に由緒が記されてゐる。
延出神社の由来
当延出神社は明治二十七年兵庫県淡路国三原郡北阿万村本荘亀岡八幡宮の分祀として本村伊豆宇野土居万太郎氏により自宅に祭祀明治三十三年現在の富沢下屋敷義光宅前に神殿を建立後大正六年現在地に移転東西蓬莱及豊岡の住民により雌蓬莱山に安置せる天照大神をここに合祀延出神社として今日に至る
尚八幡宮の祭神は武内宿禰命誉田別命息長足命の三柱なり
  昭和五十六年一月吉日 建設委員会建立
                富岡忠吉書
雑記  日高本線蓬栄駅から北へ1.7kmのところにある。(なほ、鵡川駅から当駅を経由して終点様似駅までの116kmは平成27年から不通で廃止が濃厚な状況。代行バスが運行されてゐる。)
 新ひだか町役場からは東南東へ22kmの所にある。

 新ひだか町は、平成18年に静内町と三石町が合併して出来た町。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

写真左側にある碑は、左側は
役馬功績不忘の碑
碑文 汝なかりせば今日の郷土はなかるべし今その労働力の王座を機械に譲りて引退せるも汝が郷土に残した不滅の業績をここに顕彰し永久に伝えん」(変体仮名は、五十音の仮名に置換へた)
(碑背)午年 昭和五十三年九月建之
右は
  昭和十五年九月吉日
延出土巧組合創立二十周年 記念碑
      日高支庁長織田信知書
写真2 社頭の鳥居
写真2 拡大 (1280×960)

社頭の鳥居

鳥居には「昭和五十五年五月移設 奉納者 坂東秀太郎」とある。社号標は「村社延出神社」村社部分はセメントが入ってゐる。背部には紀元二千六百二年 寄付者 坂東秀太郎」とある。

写真左がは、斜面の下辺りに「獣魂碑」がある。碑題に添へて、「三石町長 前田○○」、碑背には「昭和二十九年九月……、猟友会三石……」とある。

写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

向って右手にある碑は、祭神四柱が、背面には由緒が刻まれててゐる

写真4 社殿側面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿側面

五角柱の地神塔には、天照大神、稲倉姫(?)命、埴安姫命、少彦名命、大已貴命の五柱を刻んでゐる。由緒に「淡路国」とあるので、納得。

写真5 拝殿内
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真6 拝殿脇から参道を望む
写真6 拡大 (1280×960)

拝殿脇から参道を望む

写真7 戦没者慰霊碑
写真7 拡大 (1280×960)
戦没者 慰霊碑 町村金五書
碑文
異国の地にあってどんなにつらかったであろう。一杯の水も口に出来なかったであろう。ただ一途に必勝を信じて勇ましく戦い尊い生命を国のために捧げられた、あなた方の苦しみを再び繰返さぬ様この尊い犠牲を忘れず更に永遠の平和を希い終戦四十一周年にあたり一般各位のご協力を仰ぎここに慰霊の碑を建立す
 昭和六十一年八月十日
    之部出遺族会
碑文は、歌笛神社に設置の戦没者慰霊碑と同じで、周年、日付と遺族会名が違ふのみ。
 碑背には昭和八年から二十一年に亡くなった19名が記されてゐる。

写真8 開拓百年之碑
写真8 拡大 (1280×960)
開拓百年之碑 三石町長 太田皆雄 書
     開拓を讃えて
 私たちの住む延出の里は、豊かな水田が広がり、牧場には若駒が駈けています。
 昔この地には空を覆う大樹が一面に茂り、獣が群れていました。
 明治十八年、高岡精一郎氏が延出に居を定め、木を切り畑を開きました。それを機に次々と人が移り住み厳しい自然条件に耐えて開拓が始められました。
 其時より数えて百年の今、先人の労苦をしのび、その業績を讃えて ここに開拓百年の記念碑を建立し、開拓の誇りを末永く後世に伝えてまいります。
 昭和五十九年十一月十八日
  延出開拓百年記念事業推進期成会



出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.640-641

改訂記録
  • 令和06.03.17 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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