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早来神社(北海道〈胆振〉安平町早来)

参拝日 平成29年7月23日(日)
作成日 平成30年1月27日(土)
追記日3 令和6年4月18日(木)
よみ  はやきた じんじゃ  
所在地  安平町早来大町173番地 (北緯42度45分56.75秒 東経141度49分13.19秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 早来神社
祭 神  大國魂神(おおくにたまのかみ)
 大己貴神(おおなむちのかみ)
 少彦名神(すくなひこなのかみ)
 大山咋神(おおやまくいのかみ)
 中津嶋姫神(なかつしまひめのかみ)
由 緒  村社。
 明治28年小祠を建立、明治43年に神社創立許可を得、翌年社殿造営、大正15年社殿改築、昭和8年村社指定され、昭和51年社殿造営及び境内整備、平成6年御鎮座100年。
 『北海道神社庁誌』(平成11年)には次の様に載つてゐる(1)
由緒 初期入地者の高松久松・加藤覚右ヱ門他三名が開拓守護神として大国魂神・大已貴神・少彦名神を尊信し、明治二十八年現在地に小祠を建立して産土神としてこれを奉祀した。同三十三年八月社殿を建立し、その御霊徳を欽迎する事により信仰の安心を得て開拓に励み、本村の産業振興発展をみるに至り、同四十三年神社創立願を提出し、同年十二月二十九日付をもって創立許可を得た。翌四十四年三月三十日社殿造営、前期三柱の神および大山咋神、中津嶋姫神の二柱を合祀して、無格社早来神社と称し、同年八月札幌神社(北海道神宮)より特別神璽を拝受した。大正十三年五月腐朽せる社殿を改築、境内諸設備を完成し体裁を整え、昭和八年村社に列せられ、神饌幣帛供進神社に指定される。社殿は昭和五十一年八月二造営及び境内整備を執り行い、平成六年御鎮座百年を迎えた。
雑 記  室蘭本線早来駅から東へ0.5kmのところにある。

 鎮座百年記念に作られた玉垣に「橋本聖子早来町後援会」の表記がある。御朱印をいただいた時に伺ったところ、橋本聖子議員のお父上は先代の総代を担はれてゐたとか。牧場を経営されてゐると、聞いた事があったのを思ひ出した。また、伐った木の始末がまだで…と嘆いていらっしゃった。(木はある程度乾燥させてから処置した方が良いので仕方ない)
 社号標は平成五年九月奉納、「馬歴神」の石碑がある、
 屋根を具へた土俵がある。
 忠魂碑がある。「早来町戦没者慰霊之碑」で平成六年九月建立され、百名余の氏名・戦病没地・年齢が刻まれてゐる。

 安平町の名は聞き慣れなかった。調べたら合併でかつての名称が復活した事のやう。
・明治22年:植苗村美々からフモンケ(普門家、昭和32年に富岡と改称)に入植。(富岡神社に「富岡開基百年之碑」がある。
      室蘭線と夕張線の鉄道施設を建設するために工事関係者の入植
・明治25年:追分駅開業
・明治27年:早来駅開業、以降鳥取県人などの入植相次ぐ
・明治33年:植苗村と勇払村の一部が分村して安平村、早来に安平戸長役場を設置
・明治39年:安平村成立
・昭和27年:安平村から追分村が分村
・昭和29年:安平村が早来村に改称
・平成18年:早来町と追分町が合併し安平町が成立。

(H30.09.13 追記) 9月6日未明、震度6強の地震に襲はれた。報道等の写真をみると向拝の屋根が落下してゐる。他の被害は判らない。神社だけでなく皆が被災したことと思ふ。復旧される事を切に願ふ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  社頭


写真2  二の鳥居


写真3  拝殿、向拝には大きな絵馬(馬の絵、平成26(申年)年奉納)が掲げられてゐる。


写真4  太い木(直径30cm位?)が伐られた後で見通しが良い。



写真5  御本殿


写真6  忠魂碑


御朱印


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』 平成11年 北海道神社庁 p.623

改訂記録
  • 令和06.04.18 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 由緒追記(北海道神社庁誌から引用)
  • 令和01.06.30 北海道神社庁北海道の神社URL更新
  • 平成30.09.17 震災による被災を追記

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