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登別神社 (北海道〈胆振〉登別市中登別町)

参拝日 平成30年9月4日(火)
作成日 令和元年12月9日(月)
追記日 令和6年4月1日(月)
よみ  のぼりべつ じんじゃ  
所在地 〈胆振管内〉登別市中登別町12-2 (北緯42度27分33.32秒 東経141度10分34.70秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭 神  誉田別尊
由 緒  元 無格社
 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒 明治元年、当時開拓者数名に依り一小祠を建立したことに始まる。昭和二年八月五日創立を出願し昭和五年六月十日、無格社となる。現社殿は、昭和十五年の造営になるものである。昭和二十三年九月十三日、宗教法人となる。
雑 記  室蘭本線登別駅から北北西へ0.9kmの所にある。

 社殿後方に地神塔があり、天照大神・稲田姫命・大已貴命・少名彦命・大穴槌命の五柱。台座には読める部分に「登別町農事実行組合○○(一同?)昭和二十○年九月○○○日」(○は判読困難)とある。
 灯籠は、「昭和三年九月」の年記と氏名が刻まれてゐる。
 社頭の社号標には「昭和二年八月建之 発起人 登別石工組合 寄進人(二名略)」とある。

 登別市は、大正8年に幌別村・登別村・鷲別村が合併し幌別村となり、昭和26年に幌別町、昭和36年に登別町と改称、昭和45年に市制施行し登別市となってゐる。
 登別と聞いて連想するのは、温泉・地獄谷。当社は、社名から温泉との縁を予想してゐたが、それは無かったやうだ。温泉地区(市内登別温泉町)には湯澤神社があるし、5kmも離れてゐるのも事情なのだらう。 


 本日は道内神社巡りの三日目、最初の訪問社。昨日は旭川から南下し、苫小牧泊。今日は、函館の護国神社と函館八幡宮参拝を主目的に函館へ行きく。長距離移動で参拝に使へる時間が少ないが、長時間運転を避ける意味で、当社を始め、何社か参拝を計画してゐる。計画に無理があるのは昨日までの行動で判ったし、今日は、台風が来るやうなので、それをも考慮に入れて計画を修正しなくてはいけない。
 昨日もさうだけど、朝食・昼食はセイコーマート(コンビニ)のおにぎり。飲食店で食事する時間も惜しく思ふ。
 結局、計画してゐた、刈田神社・室蘭八幡宮をパスする事にして、29km先の崎守神社に行くことにした。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4

出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.778

改訂記録
  • 令和06.04.01 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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