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別保神社 (北海道〈釧路〉釧路町別保)

参拝日 令和3年6月2日(水)
作成日 令和4年2月12日(土)
改訂日 令和6年2月18日(日)
よみ  べっぽ じんじゃ  
所在地 〈釧路管内〉釧路町別保3丁目 (42度59分45.85秒 144度28分15.19秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 別保神社
祭神  賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
 大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)
由緒  北海道神社庁webには次の様に載ってゐる(1)
由来
 大正7年当時別保市街に鎮守社なきを憂い市街有志相諮り、別保市街の諸産業発展を祈るため京都市鎮座賀茂別雷神社より御分霊を勧請奉斎した。
雑記  最寄駅は社殿から南南西(211°)へ0.2kmの所に根室本線別保駅がある。

 釧路町立別保小学校web(2)には「別保炭鉱が盛んだった頃は別保神社には宮司さんがおり、日常的に神事を行っていたそうです。別保炭鉱の閉山後、炭鉱で働いていた人々やその家族が別保地域を去るに従い、別保神社からは宮司さんが去り」とある。

 この小学校webの一文に出会はなければ、石炭との関係は気づかないままだった。さすがに、太平洋炭鉱の名は知ってゐたが、別保の地でも石炭が繁栄をもたらしてゐたのは知らなかった。
 別保炭坑(別保坑)の在った所(坑口や選炭場、貯炭場等)の詳細な場所は調べが付かず判らなかった。採炭は別保八〜十丁目、別保南一〜四丁目の東方一帯・森林公園とその南方で、二本の河川に沿って何十もの坑口が開けられてゐた。昭和23年撮影の航空写真を観ると、少なくとも別保八〜十丁目、別保南一〜四丁目にはそれらしき構造物がある。
 本格的採掘は明治29年からで、明治39年からクツタクンペ川(双河辺(ふたこうべ)川)の南丘陵地で開鉱し、大正5年には三井鉱山が買収「釧路炭鉱」として開業、大正9年に釧路市の木村組釧路炭鉱と合併し、太平洋炭鉱「別保坑」となった。昭和19年夏、大東亜戦争で制海権を失ったため輸送できなくなり休坑し、人員は九州の三井鉱山田川鉱業所に転換。昭和21年11月に再開したものの採掘条件の悪化などから昭和24年に閉坑し、全員が釧路市の春採(はるとり)坑に移動した。家族を含めた3000人余の移転に6年間を要した。それまでの間、別保炭砿の岐線から根室本線上別保駅(昭和27年に別保駅と改称)・東釧路駅を経由し、釧路臨港鉄道春採駅までの通勤列車を運行した。
 現在、炭住のあった所は地図を見ると住宅地で小学校・中学校もある。産炭地の一つだった夕張市とは炭質は違ふし、立地や労使関係も違ってゐるので、一概に人口の極端な減少に見舞はれるばかりでは無いと感じた。
 石炭についての基本的な知識を脚注に記した(3)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

一の鳥居には年記「平成元年七月一日」と奉納者のお名前があった。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)



写真3
写真3 拡大 (1280×960)



写真4
写真4 拡大 (1280×960)



写真5
写真5 拡大 (1280×960)



写真6
写真6 拡大 (1280×960)



写真7
写真7 拡大 (1280×960)

拝殿前から鳥居方を望む

御朱印
御朱印 拡大 (665×960)

釧路市の厳島神社でいただいた。


出典・脚注
  1. 北海道神社庁 北海道の神社 別保神社
  2. 令和4年2月8日閲覧 釧路町立別保小学校webの少し前の出来事ですが…… 2020-12-10付け
  3. 石炭について 釧路炭田産炭史(平成23年(2011)11月発行 社団法人北海道産炭地振興センター)、北海道産炭地振興センターwebの 釧路産炭地域の歴史より(「センターは令和3年6月8日に解散しました。ホームページは8月末で閉鎖します。」とあるが一部は閲覧可能な状態にある)
    ・炭田とは  経済的に価値のある炭層が豊富に存在する地域をいふ
    ・石炭の堆積時期  米・欧・中国大陸は約3億年前(古生代石炭紀)、日本は0.65億年より新しい(古第三紀以降)、釧路は0.45〜0.38億年前
    ・炭質  釧路は亜瀝青炭で発電所やボイラー用に使用、国内他は主に瀝青炭で製鉄用に使用
    ・生産量  最盛期は昭和30年代で36年には全国で年間5500万トン。釧路炭田の最高出炭量は昭和42年に344.6万トン
    ・埋蔵量  釧路炭田:20億トン、石狩炭田:64億トン、筑豊炭田:25億トン
    ・釧路炭田の地域・面積  西部は十勝東部の浦幌町と釧路管内の旧音別町、白糠町、旧阿寒町、東部は釧路町、厚岸町の7市町にまたがり、東西110km、南北は西部が太平洋岸から阿寒火山帯の山麓までの40km、東部は幅20kmの3000km2の面積

改訂記録
  • 令和06.02.18 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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