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中標津神社 (北海道〈根室管内〉中標津町)

参拝日 令和4年6月12日(日)
作成日 令和5年10月21日(土)
よみ  なかしべつ じんじゃ
概要  北海道根室管内中標津町に鎮座する。大正2年に創設され、昭和17年に公認神社となった。  
所在地 〈根室管内〉中標津町西一条南四丁目
  北緯 43度32分40.58秒
  東経144度58分31.94秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 グーグルマップ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 中標津神社
祭神  天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
 大国主神  (おおくにぬしのかみ)
 倉稲魂神  (うがのみたまのかみ)
由緒  旧社格 無格社

 北海道神社庁webには次の様に載ってゐる(1)
由緒 大正2年に創設され、記録書類には「大正弐年八月標津村字中標津地方住民ハ植民地開拓守護ノ神社トシテ小祠ヲ建立シ前記3柱ノ祭神ヲ奉祀崇敬セルヲ創始トスル」とある。前記3柱の祭神というのは、天照大御神・大国主神・倉稲魂神である。場所については、丸山公園付近から大正7年に西2条北3丁目に移転、さらに農業試験場付近に移転、現在地には大正8年に移転した。昭和8年に本殿・幣殿・拝殿が造営された。昭和16年公認神社にするために「神社創立許可願」を内務大臣に提出、昭和17年6月8日付けで認可される。昭和21年宗教法人法により登記された。例祭日は9月10日であったが、諸般の事情により昭和28年より現在の7月20日に変更された。その後社殿の老朽化が進み昭和49年に工事着工、昭和50年に現社殿が完成、正遷座祭が行われ現在に至る。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
  共成神社 天照皇大神 大正7年創祀
雑記  最寄駅 釧網本線標茶駅は道程49km、根室本線厚床駅道は程45kmの所にある。平成元年までは、中標津駅が当社から北へ0.4kmの所にあった。

 中標津空港は、道程5kmにあり、日に4便のバスがある。ちなみに、本年(令和5年)10月1日からの空港へのバスは、中標津空港-根室間(所要2時間9分)の運行で航空機の大幅な遅延には対応しないとしてゐる。空港での乗降客が少ないこととバス路線について補助金を受けてゐるため地域住民の利便性を重要視したためらしい。 中標津町webには「当バスは生活交通路線として国・道からの補助を受けて運行しているため、定時運行が基本であること、他停留所の乗降客も居られますことから、航空機の大幅な遅延には対応致しかねます。」(おしらせ 2023年9月20日)、 別海町webには「JR標茶駅及びJR厚床駅への公共交通機関として維持してきましたが、今後は3町(別海町・中標津町・標津町)の生活交通路線として運行します。」(おしらせ 2023年9月11日)としてゐる。
 バスは、根室-中標津空港間の便が中標津市街を通る。

 町役場は北ないし北北西へ1.2kmの円山公園の北にある。


【中標津町】について
  • 人口等 人口:22532人(令和5年8月末)、平成16〜27年は24000人台(2)
           さしたる減少が無いのは道内では珍しい。
        面積:685km2
  • 産業  酪農中心(3万9000頭の乳牛)、畑作
  • 沿革(3)
    • 明治12年 標津村の開基(戸長役場設置)
    • 明治34年 入植地として区画開放
    • 大正3年 中標津駅逓所設置
    • 大正8年 標津・中標津間道路完成
    • 大正10年 厚床・中標津間道路開通
    • 大正14年〜昭和2年 植民軌道開通(厚床-中標津間49km、中標津-標津間34km、計根別-中標津16km)
    • 昭和12年 標津線全通(118km、計根別駅は昭和11年、中標津駅は昭和9年開業。令和元年標津線廃止)、植民軌道廃止
    • 昭和21年 標津村から中標津村が分村、計根別支所開設
    • 昭和25年 町制施行
    • 昭和30年 別海村から豊岡・協和地区編入
    • 昭和40年 中標津空港開港
    • 平成13年 「根釧大地の格子状防風林」(4)が北海道遺産に認定
  • 神社 町内に国土地理院地図に神社記号のある所は、当社と計根別神社を除いて10箇所ある。(5)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 社号標は「鎮守 中標津神社」、側面に「元北海道廳長官佐上信一謹書」、背面に「初代氏子総代 七人の氏名」が刻まれてゐる
 鳥居は、令和元年六月吉日建立、会社社長の方による奉納
 写真左側の電柱の所に「中標津神社チャシ跡」と題した教育委員会による掲示がある。根室半島にあるチャシ跡は崖上や丘先端の平坦な部分にあるのが殆どだが、こちらのは河岸段丘崖中にある。何故なのだらう。文字が無いと後世に伝わらないなぁ。なお、当社社殿は段丘崖上の平坦部にある。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)


写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿 正面

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿 側面

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 拝殿内

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 境内社

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 拝殿前から鳥居方を望む
 写真左側の建物は社務所

御朱印
御朱印 拡大 (648×960)
 


出典・脚注
  • 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.595-596
  • 令和5年10月16日閲覧 中標津町webの人口統計
  • 令和5年10月16日閲覧 主に次のサイトに依った。  ウィキペィア 中標津町、  中標津町web 中標津町のあゆみ
  • 令和5年10月17日閲覧  特定非営利活動法人北海道遺産協議会web 根釧台地の格子状防風林、  googleの航空写真:根釧辺り 
  • 中標津町内にある神社で、国土地理院地図に神社記号があるのは、神社庁包括下の当社・計根別神社を除いて10社で、社名と位置は次の通り。社殿の確認や社名は、主にグーグルマップによった。

      社名 (地名) 緯度・経度 読み コメント・リンク(*)
    • 武佐神社 (中央武佐)43度37分33.84秒 144度57分30.89秒 むさ 
    • 上武佐神社(東武佐) 43度37分04.59秒 144度59分42.29秒 鳥居のみ? 
    • 不詳   (元開陽) 43度35分59.74秒 144度55分00.84秒 確認出来ず
    • 俣落神社 (俣落)  43度33分22.57秒 144度53分32.58秒 またおち 
    • 養老牛神社(養老牛) 43度32分38.63秒 144度43分04.11秒 
    • 不詳   (東養老牛)43度32分18.10秒 144度44分19.53秒 
    • 西竹神社 (西竹)  43度31分52.00秒 144度47分31.56秒 
    • 東西竹神社(東西竹) 43度32分37.67秒 144度49分38.68秒 
    • 東計根別神社(東計根別)43度30分52.24秒 144度51分38.37秒 
    • 豊岡神社 (豊岡)  43度29分01.65秒 144度56分44.00秒 
        (*)リンク G:グーグルマップへのリンク

    改訂記録
    • 令和06.01.22 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)
    •  〃    26 配置再修正

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