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標津神社 (北海道〈根室〉標津町)

参拝日 令和4年6月12日(日)
作成日 令和5年10月28日(土)
よみ  しべつ じんじゃ
概要   天明元年(1781)に漁場請負人及び漁師により創建と伝えられ、天保11年(1840)に場所請負人藤野喜兵衛が本殿及び拝殿を改修造営した。
 大正元年公認神社となり、昭和12年には村社に列格した。  
所在地 〈根室管内〉標津町(しべつちょう)北一条西一丁目
  北緯 43度39分36.15秒
  東経145度7分54.07秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 グーグルマップ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 標津神社
祭神  天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
 金刀比羅大神 (ことひらのおおかみ)
 市杵島神 (いちきしまのかみ)
由緒   旧社格 村社

 境内にある由緒掲示は次の通り。(西暦年は漢字で記されてゐるが、横書転記に当りアラビア数字表記した)
標津町総鎮守 標津神社由緒

鎮座地 北海道標津郡標津町北一条西一丁目一番二号

          金刀比羅大神
御祭神 天照皇大神
          市杵島神

   御由緒  ( )は西暦
 本神社は、天明元年(1781年)漁業の安全と大漁を祈願する漁場請負人(1)及び漁師の手により創建されたものと伝えられ、根室管内でも古い神社の一つであります。
 その後、場所請負人等の寄進で随時体裁を整え、文化二年(1805年)七月に社殿及び拝殿を改修し、天保十一年(1840年)九月に場所請負人藤野喜兵衛が本殿及び拝殿を改修造営した。
 天保十三年(1842年)吉田喜右エ門・館村順衛両氏が、花崗岩製石灯籠一対を寄進、当管内で最も古い石灯籠であり、昭和四十六年四月一日、町教育委員会文化財に指定さる。
 明治三十六年八月六日、社殿全部の他、宝物・古文書・備品等消失、灰燼に帰す。 同四十五年六月二十九日、社殿再建出願、大正元年十月十五日社殿竣工、無資格公認神社となる。
 昭和十年二月二十五日、神社昇格を申請、同十二年四月三十日付、内務省一〇北第十一号を以て村社に昇格、神饌・幣帛供進使神社の指定を受く。
 昭和十五年四月二十三日、紀元二千六百年を記念して社殿造営許可を申請、同年九月十三日認可と同時に奉賛会を結成し、境内の拡張及び記念植樹を行い、社務所新築を計画、同十六年八月社務所落成、同二十一年七月十日、現社殿竣工、十三日遷座祭を斎行す。
 御社殿は、神明造り・総建坪50.1坪・工事費十三万余円
 昭和二十年十二月十五日、連合最高司令官の神道指令により国家管理を離れ同二十九年三月十九日付を以て宗教法人神社となり、現在に至っている。
    例祭日 七月二十三日 神輿渡御も併せ行なう

北海道神社庁webには、合祀について次の記載がある(2)
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
 ・伊茶仁神社 金刀比羅大神 昭和初期創祀
 ・浜古多糠神社 稲荷大神 明治18年4月創祀 平成10年7月28日合祀

  参考(読み)   伊茶仁:いちゃに  古多糠:こたぬか
雑記  最寄駅は、無い。近くても釧網線の知床斜里駅(道程56km)、・同線標茶駅(道程68km)、根室本線の厚床駅(道程59km)と遠い。
 町役場は、当社から北へ0.2kmの所にある。


【標津町】について
  • 人口等  人口:4863人(令和5年9月末)、昭和40年の8051人がピーク(3) 面積:624km2
  • 産業   酪農 漁業
  • 沿革(4)
    • 7〜13世紀 標津遺跡群(擦文文化やオホーツク文化の集落跡を代表する広域的な遺跡群、縄文時代のものを含む)がある(5)
    • 江戸中期 松前藩は場所請負制を始めた。
      • 安永2年(1774) 飛騨屋久兵衛に場所請負はす
      • 寛政元年(1789) 村山伝兵衛に場所請負させた
      • 寛政8年(1796) 小林宗九郎、熊野屋忠右衛門、根室場所請負人となる
      • 安政6年(1859) 北方警備のため、会津藩が根室・紋別を幕府から譲渡された
    • 明治12年 戸長役場設置(標津町の開基)  標津村・伊茶仁村・薫別村・崎無異村・忠類村・植別村を管轄、
       これ以降の管轄・編入:明治17年茶志骨村編入、明治34年植別村分離(現 羅臼町)
    • 大正12年 二級町村制の標津村となる
    • 昭和元年 標津-中標津間の植民鉄道開通
    • 昭和12年 標津線開通(根室標津駅開業)、植民軌道廃止
    • 昭和21年 中標津村が分村
    • 昭和33年 町制施行し、標津町となる
    • 平成元年 標津線廃止・根室標津駅廃止
  • 神社  町内に国土地理院地図に神社記号のある所は、当社を除いて6社ある。(6)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 鳥居は、昭和五十五年七月建之 標津町開基百年記念、とある

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 参道

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿 正面(東向き)
 狛犬は、皇紀二千六百三年五月の年記がある
 写ってゐる石灯籠は、天保13年(1842)奉納(由緒欄参照)だらうか(自分では確認漏れ)

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前
 高さ2m余の錨がおかれてゐる(社殿手前の参道左側)

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿 側面

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 拝殿内

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 拝殿前から鳥居方を望む
 左手に見える建物は授与所

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 静霊殿

御朱印
御朱印 拡大 (657×960)



出典・脚注
  1. 場所請負人について 北海道マガジン「カイ」の記事 学芸員の「根室海峡エピソード」コラム〜7「根室地方最古の創祀・標津神社にまつわる悲史」小野哲也(標津町ポー川史跡自然公園学芸員)(日付の記載無し、令和5年10月25日閲覧)より
     『安永2(1773)年、松前藩が借金返済の代わりに、エトモ、アッケシ、キイタップ、クナシリの4場所での経営権を飛騨屋久兵衛に委譲すると、根室地域での本格的な漁場開発がはじまります。この飛騨屋によって開設された漁場の社として、天明年間(1781〜1789)に創祀された社を起源とするのが、現在の標津神社です。 飛騨屋は松前藩への借金による損失を取り戻すため、当時最新の漁法であった大網漁を導入し、現地のアイヌを労働力に投入することで、生産効率の高い漁場経営を行います。しかしこの時のアイヌに対する扱いは、極めて過酷なものでした。アイヌの冬場の保存食となる鮭まで商品の〆粕原料にして餓死者を出す、妊婦のアイヌ女性を釜に投げ入れようとする、働きの悪いアイヌを薪で打ちつけて殺害するなど、漁場番人らによるアイヌへの非道横暴が、日常的に行われていたのです。』
     と、非道なもので寛政元年(1789)のクナシリ・メナシの戦ひと呼ばれる事件に発展してゐる。飛騨屋は責任を取らされ蝦夷地から撤退。なお、初代から三代は伐木・造材の請負で蝦夷地に進出してゐた。三代目の時に林業から撤退し漁業に転換し、四代目の時に事件が起きた。時代背景には天明の飢饉が、また松前藩による支配のあり方にも難があったやうだ。
     飛騨屋のあとは、村山伝兵衛が場所を請負った。
     「標津神社にまつわる」の文言に釣られて読んだが、松前藩と飛騨屋久兵衛の行状の問題で、神社とのまつわりは何も記されてゐなかった。 
  2. 令和5年10月23日閲覧 北海道神社庁web  北海道の神社 標津神社
  3. 津別町web内「標津町人口ビジョン及び総合戦略」令和3年4月 津別町 p.1
  4. 令和5年10月23日閲覧 ウィキペディア 標津町
  5. 令和5年10月26日閲覧 ウィキペディア 標津遺跡群
  6. 標津町内にある神社で、国土地理院地図に神社記号があるのは、神社庁包括下の当社と川北神社の2社を除いて6社で、社名と位置は次の通り。社殿の確認や社名は、主にグーグルマップによった。

       社名 (地名) 緯度・経度  読み リンク(*)
    • 薫別神社 (薫別) 43度47分41.68秒 145度3分36.66秒 くんべつ 
    • 薫別稲荷神社(薫別)43度47分43.80秒 145度3分41.22秒      
    • 古多糠神社(古多糠)43度44分56.16秒 145度1分42.29秒 こたぬか 
    • 忠類神社 (忠類) 43度43分22.22秒 145度5分28.94秒      
    • 北標津神社(北標津)43度42分15.50秒 145度1分15.41秒      
    • 茶志骨神社(茶志骨)43度38分11.46秒 145度9分48.72秒 ちゃしこつ 
        (*)リンク G:グーグルマップへのリンク

改訂記録
  • 令和06.01.22 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)
  •  〃    26 配置再修正

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