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呼人神社 (北海道〈オホーツク〉網走市呼人)

参拝日 令和4年6月11日(土)
作成日 令和5年9月30日(土)
よみ  よびと じんじゃ
概要  北海道オホーツク総合振興局管内網走市呼人に鎮座する。創建は大正4年で天照大御神を祀る。 (神社庁包括外社)  
所在地 〈オホーツク管内〉網走市呼人267
  北緯 43度57分38.67秒
  東経144度13分13.71秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 グーグルマップ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
 
HP等  Wikipedia:呼人神社
祭神  天照大御神
由緒  旧社格 非該当(未公認社)

 ウィキペディアの「呼人神社」(1)から引用。
 呼人神社の起源は、嶋田庄太郎が発起人として、当時の入植者と神社建立の話し合いをしたことに始まる。田中清輔より呼人267番地に2反6畝24歩の神社敷地の寄付を受け、1915年12月、嶋田庄太郎を氏子総代として本殿1棟(間口4尺、奥行3尺)と鳥居1基を建立。網走町にある川向三吉神社の前田神主により伊勢皇大神宮・天照大御神の分霊を奉戴し、この地を神域として奉祀した。
 平成10年、相馬妙見神社を合祀した。

 開基百年を記念した碑がある(鳥居に向って右)。神社のことは記されてゐないが、神社を創祀し維持してきた人々の歴史・思ひとして、ここに転記した。
呼人開拓の碑

碑文

 明治三十二年、数戸の入地に始まる呼人の開拓は、大正三年田中牧場区画開放によって急速に進展した。
 新天地創造に燃える先人達は、昼なお暗い荒山・湿地に挑み、斧をふるい、鍬を打ちおろし、稲黍、野兎で飢えをしのぎ、極寒と度重なる凶作に耐え、呼人の基礎を築いた。
 網走湖と大観山に囲まれた豊かな自然は、農漁業をはぐくみ、商工業、観光業を起こし、福祉・教育施設等を充実させて今日に至った。
 呼人区会は、先人の愛郷の志を受け継ぎ、百年の歴史と現在の姿を後世に伝え「ふるさと呼人」の発展と繁栄を祈念してこの碑を建立する。
  平成十一年十一月 呼人区会
(碑背)
呼人の沿革
明治三十二年  嶋田庄太郎入植
三十五年  田中牧場 呼人周辺二十町歩貸付許可
同年  網走から内陸への道 美幌街道開さく
四十二年  鉄道敷設のため湖岸に道路開通
大正  三年  田中牧場 呼人周辺二千町歩貸付け許可
五年  板野竹次郎・上林貞吉リンゴ栽培始める
同年  大曲小学校呼人教授場開校
十二年  網走本線呼人駅開駅
十四年  白井仁太郎湖畔で佃煮工場創業
昭和 二十年  太平洋戦争敗戦 呼人の戦没者十三名
三十年代  呼人リンゴ最盛
四十年代  トラクター導入 馬耕消えはじめる
四十九年  道立網走養護学校開校
五十年  呼人に温泉湧出
平成  元年  八坂に東京農大オホーツク校開学
二年  苗圃跡にトレーニング・フィールド開設
八・九年  呼人小中学校新校舎落成
十一年  呼人百年の碑建立

 開基七十周年記念碑 碑文 鳥居に向って右すぐにある。(口:読めなかった)
明治三十二年五月日輪沈む原始の森に斧鍬を振い開拓の鍬が打ち下されて七十年 我らが祖先は風雪と戦いあらゆる困難を克服しついに新天地を創造せり 此□に記念の碑を建て永くその偉業を讃う
昭和四十四年九月
呼人区住民一同建之
雑記  最寄駅は呼人駅で北へ0.4km(道程1.3km)の所にある。特急列車利用の場合は女満別駅利用となる。 
 市役所は、北北東へ7.9km(道程9.4km)の網走市街にある。

 鎮座地は、今はやや不便なところとなってゐるが、昭和40年頃の国道は当社の前を通ってゐた。また、平成八九年までは呼人小中学校が参道入口から南へ100m程の所にあった。

 訪れたのは雨が降った後で石碑の前まで叢の中を進んで行くのは、ためらはれた。しかし次の機会は無いと思ひ、ズボンの膝から下をぬらして碑の前まで行った。碑文や呼人の沿革が知れて良かった。
 社殿は、本殿が見当らなく、だうしたのだらうと不思議な気がしてゐた。社殿の後ろは草木の茂る斜面。ウィキペディアの「呼人神社」には「本殿奥にある社」の写真がある(1)。これが本殿だらうか、全く存在に気づかなかった。

 「網走町にある川向三吉神社の前田神主により伊勢皇大神宮・天照大御神の分霊を奉戴し、この地を神域として奉祀した」(1)と云ふ。「川向三吉神社」は網走川左岸側地域(川向)にある三吉神社と云ふ意味なので、現在の網走三吉神社の事かと思ふが、網走三吉神社と書かれてゐないので確証はない。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)  
    中央部分拡大 (1280×960、811kb)
 社頭
 鳥居は、昭和五十四年七月建立
 鳥居に向って、右に「開基七十周年記念碑」、さらに先に「呼人開拓の碑」がある
 同じく、左に「畜産振興之碑」がある

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 参道途中
 

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿内

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿前から見た参道

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 階段上から鳥居方を望む
 乗ってきた車の向かう(写真の上の方)には線路(石北本線)が通ってゐる
 車を停めてある道路はかつての国道で、現在の国道は跨線橋(跨線道路橋)を造って直線化されてゐる。

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 線路を走る列車。網走を17:25出発の特急オホーツク4号で、札幌へ347.5kmを走って22:53に着く(表定速度63.5km)。写真の場所は写真6の左上の国道39号線が線路を越えてゐる部分。
 スピードアップしてほしいが、現状で存続が厳しい会社なのに、JR北海道が投資できる訳がない。公共事業と考へなければ未来は無い。振子車両と線路強化、場合によっては信号場の新設にはいくらかかるんだらう。


出典・脚注
  1. 令和5年9月29日閲覧 ウィキペディア 呼人神社

改訂記録
  • 令和06.01.23 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)
  •  〃    27 配置再修正

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