よみ
おんねゆ じんじゃ
| 概要
| 北海道オホーツク総合振興局管内北見市留辺蘂町温根湯温泉に鎮座する。
明治の末に遙拝所を設けたのが始り。
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所在地
| 〈オホーツク管内〉北見市留辺蘂(るべしべ)町温根湯温泉455番地
北緯 43度45分39.51秒
東経143度30分42.30秒
地理院地図(ズームレベル15)
グーグルマップ(ズームレベル14)
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地図
| 参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
・東西290km 南北270km
・+印:当社位置
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・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
・○印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
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HP等
| 北海道神社庁 北海道の神社 温根湯神社
留辺蘂神社・温根湯神社 宮司 田頭 寛(X(twitter))
温根湯神社(facebook)
温根湯神社(Instagram)
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祭神
| 天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
(上記の北海道神社庁webによる)
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由緒
旧社格 なし
拝殿内の掲示には、次の様に記されてゐる(1)。(写真6参照)
鎮守温根湯神社
天照大御神
大国主大神
例祭日 九月二十三日
温根湯温泉神社
大名持大神
少彦名大神
例祭日 八月八日
北見総社大山神社
大山祇大神
木花之開耶姫神
例祭日 七月十二日
由緒
明治の末、地元有志間で神社設立の気運が起こり、大正元年春、森重要吉氏を中心に数名の人達が相諮り、無華川右岸二百二十八番地に、天照大御神の遙拝所を建立した。大正六年崇敬者の手により一坪程の神社を建築し同十三年に神社をそのまま現在地に遷座した。その間大正四年には、温泉神社を建て、昭和十二年に温根湯神社本殿に向って右側に移築遷座された。更に、大正七年には、造材業高杉作市氏らの発起で、温根湯神社本殿に向って左側に大山神社を建立した。
平成五年七月吉日謹書
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北海道神社庁誌(平成11年)には次の様に載ってゐる(2)。
由緒 明治四十三年温泉湯元大江與四藏・大江佐之助・國澤歴蔵等相謀りて遥拝所を設け、特信者清水茂をして各御分霊を奉斎し、近郷住民と共に神徳を仰ぎて毎年祭典を執行した。大正八年八月造材業高杉作市の発起により大山祇大神を合祠し森林・鉱業地帯の神祠として愈々尊崇加わり、昭和十五年一月一日字名の改称により温根湯神社と奉称、昭和二十年秋終戦改革に際し氏子一同の熱願により資格出願を決議した。 昭和二十一年宗教法人となる。
境内外摂末社
温根湯温泉神社 大名持大神 少彦名大神
北見総社大山神社 大山祇大神 木花之開耶姫神
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(令和6年1月28日追記)
田頭宮司のX(旧称 ツイツター)(2024年1月19日投稿)によると、(1)現社殿は昭和60年に建替えられたもの、(2)本殿は1棟で、その本殿の内陣(神様が鎮まっておられる所)は3座に分かれている、(3)建て替えられる前は、本殿は座毎に3棟がそれぞれ独立して横一列に並んで建っており、拝殿は無い構造となっていました、といふ。上記の拝殿内掲示の由緒は、建替えられる前までの事が述べられてゐる事が分つた。また、神社庁webに境内外摂末社として記されてゐる二社は、行方が判らないと感じてゐたが、合祀されてゐることで疑問は氷解した。追記了
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| 雑記
| 最寄駅は石北本線西留辺蘂駅で東北東へ8kmのところにある。特急停車駅では、西留辺蘂駅から東へ1.4kmの留辺蘂駅。
市役所は北見駅の近くで当社から西へ31km、留辺蘂総合支所が留辺蘂町上町(留辺蘂駅から北西へ0.6km)、温根湯温泉支所が温根湯温泉中心部(当社から南西へ0.7km)にある。
当社に着いたのは、17時丁度くらい。日没までは2時間ほどあるが、市街地を離れ、なんとなく寂しさを感じる。つつじ祭は流行病のためだらう、3年連続して中止されて、令和5年(2023)にやっと開催された。歩行者は参道の一部を経由して行けるやうになってゐるので、開催中は賑やかなのかも知れない。
「留辺蘂」の名は、鉄道駅の名として知ったので読めてゐたが、後に「蘂」は めしべ・おしべ の しべ と知った時に漢字をよく見たら、難しい字ではなかった。単に画数が多いだけで、葉・菓・薬・菜と同じ構造。
【留辺蘂】について
留辺蘂町は、平成18年、北見市・端野町・常呂町と合併し、北見市の一部となった
- 人口等 人口(平成17年末):8704人 面積:565km2 (夫々、厚木市の4%、6倍)
- 産業 林業・温泉
- 沿革
- 明治32年(1899) 温根湯温泉開湯
- 大正元年(1912) 留辺蘂駅開業(野付牛(現北見市)・網走、帯広方面へ鉄道で繋がった)
- 大正4年(1915) 野付牛村(後の北見市)から武華村が分村(後の留辺蘂町)
- 大正10年(1921) 二級町村制施行し、留辺蘂町と改称
温根湯森林鉄道開通(本線17.3km、支線6.6km。昭和29年には総延長81.5kmに達し、昭和36年全線廃止(3))
- 昭和7年(1932) 石北本線全通(旭川を経由で札幌へ短絡、それまでは帯広経由)
- 昭和12年(1937) イトムカ(伊頓武華)で水銀鉱山発見(当社からは西南西へ39km)
- 昭和13年(1938) 一級町村制施行
- 昭和49年(1974) イトムカ鉱山閉山
- 平成18年(2006) 北見市・端野町・常呂町と合併し、北見市の一部となった
- 神社 留辺蘂町域には神社庁包括下の神社は、当社と留辺蘂神社の二社。他に国土地理院の地図にある神社記号は13ヶ所。(4)
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